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きよの黒歴史

【いじめを受けた時期】
・小4〜6
・中1〜2
・大1
特に酷かったのは中学生になってから。
いじめが原因で不登校になった。
部屋に引き籠もって笑うことを忘れた。
今回は、中学時代のいじめについて語ります。

<序章>
2011年、四万十町立十川中学校に入学。
校則で部活は強制と定められちょった。
現在は、野球部、バレー部、陸上部の3つのみ
当時は音楽部もあった。
入学後、男子は野球部 or 音楽部、女子はバレー部 or 音楽部という何とも意味不明な選択を迫られる。
陸上部は、顧問が野球部とバレー部から脚力自慢の部員をスカウトし、兼任させるという特殊体制やった。

<朝練>
兼任部員は陸上優先、それ以外は野球 or バレーの練習。
とはいえ、走るかタイヤ押しで1時間
バッティングは2ヶ月に1回あるかないか
たまに、音楽部も肺活量を鍛える為に走りよった。

<夕練>
兼任部員と共に野球 or バレー。
15:30から開始。
帰りの会や専門部会のMTG、その他諸事情で練習開始が前後したり、遅れて参加することもあった。
季節によって、終了時刻が異なる。
日照時間が長くなる6〜7月、丁度この時期は
19:30まで。
街灯はほぼない。月光で照らされた薄暗い夜道。重い荷物を背負い、汗や泥まみれのユニフォーム姿で今日も疲れたなって思いながら歩いて帰りよった。

<休日>
土日祝も練習 or 練習試合なんて当たり前。(今では考えられん)
年間で自由な休日なんてほんの数える程度。
年末年始とお盆以外は、勉強か野球漬けの生活。

<いじめは突然に…>
ある日の休み時間。
トイレから戻った後、移動教室に行こうとするも、筆箱、教科書、ノートがない。
他のみんなが先に行く中、急がないかんと焦る
教室中を探し回った結果、ゴミ箱に捨てられちょった。現実やと思いとうなかった。悪い夢か幻やって自分に言い聞かせて忘れようと思うた。
その後も机やロッカーを荒らされたり、技術や美術の授業中に作った作品を壊されたり、
学参に落書きされたり…

他学年の教室には入ったらいかんという校則があった。(今もあるかは不明。)
先生方が何度、注意しても効果なし。
目を盗んでは平気で入って来て、前触れもなく説教という名の嫌味。校長先生に引けを取らん程、とにかく長い。同じ空間に居るというだけでも苦痛やのに、もはやわざとこれでもかと苦痛を与えゆーようにしか思えんかった。
黙ってりゃ、ずーっと言いたい放題
更年期のおばちゃんに匹敵する程、お喋りが好きやなとドン引きをせざるを得ない。

部活中も色々あった。
野球のグラブとスパイクを隠されたり、試合会場でみんなと同じように並べちょったはずのバッグをへちに飛ばされたり…
1つ上の先輩達から暴言、暴力は日常茶飯事。
バカだのアホだの罵倒され、頭を叩かれ、胸ぐらを掴まれることもしばしば。
休憩中、同級生同士でちょっと戯れ合うただけやのに暴力するなと注意を受けた。
(先輩のやりゆーことの方がもっと悪質やん)
つい、心の声が漏れそうになって慌てて我に返る。ことを荒立てて野球部内での立場を失いたくないし、口を滑らせたら火に油を注いでしまう。口が裂けても言えん。残る選択肢は1つ…
不本意ながら黙るしかない。いや、最初から黙って頷くことしか認めんぞとばかりの威圧感がえぐかった。正に、目は口ほどに物を言うってやつ。
ーある日の夕練ー
『最近、興味あることは?』
と聞かれ、祖父や父の影響(そもそも医療系一家)でドイツ語に興味を持ち、
『ドイツ語の勉強が楽しいです。』
と言えば急に表情が変わり、
『ドイツ語なんかどうでも良い! もっと野球の勉強をしろや‼︎』
と物凄い剣幕で激昂された。

入学当初から怒涛のような毎日を過ごすうちに、心身共に疲れを感じるようになった。
睡眠時間はそこそこやけど、ストレスを感じる日々。ちゃんと寝ても、気持ちの良い目覚めにはならん。
家族に言いづらくて、自分で解決しようにもやっぱり限界があって、いつしか笑顔が消えた。そんなこんなで2学期を迎えた頃、気付いたら不登校になっちょった。
自殺を考え始めたのもこの頃やったかなー。
ある日、担任の先生が家庭訪問に来てくれた。
勉強部屋で1〜2時間、2人っきり。
入学後、受けてきたいじめの数々を洗いざらい話した。また学校に行けるようになれば良いけど、希望は持てんかった。
ずっと前から先生に相談したかったけど、
『お前、チクリやがったな』
って詰め寄られて更に酷い状況になるのが怖かった。
登校を再開したかと思えば、再び不登校になった。

そして、時は流れ冬になった。
凍えるような寒い中での練習中、外野に飛んで来たボールを取ろうとしたら、副キャプテンを務めよった1つ上の先輩が横から体当たりして来た。
衝撃で宙に浮いて飛ばされ、冷たい地面に叩き付けられた。
状況が理解出来ず、固まってしもうた。

<昭和中学校との合同修学旅行(中2)>
京都自主研修編
4〜5人で1つの班になって、京都市内の名所を回った。3時間以内に回る場所を事前に各班でのMTGで決めた。
何処で昼食食べようかって回りよったら、たまたま別の班と合流して一緒に食べることになった。
注文したラーメンが来て食べようとしたら、
隣に座っちょった昭和中の男子が大量の七味をドサっとかけて激辛ラーメンにしやがった。
『こんなもん食えるかよ‼️』
店内で口喧嘩になった。何本か啜ってキブアップ。先に会計を済ませて店を出た。
一緒に居ったら余計腹立つし、飯がまずい。
あんな奴と一緒に居れるかって怒りMAX💢

ほんまはもっと楽しい中学時代を送りたかったですが、不遇な中学時代でした😩
何処で歯車が狂うてしもうたか、未だに謎です。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。いかがだったでしょうか?
思い出すだけでも、少しめまいがしました。
大学を卒業して、実家に帰って来ました。
頻繁に絡んで来ては、揉める原因を作りよった1つ上の先輩も実家暮らしで、徒歩3分半の近距離に居ります。
僕はしょっちゅう散歩してますが、今のところ遭遇してません。見かけてすらいません。
もし会うたら、今度はどんな嫌味を言われるかたまったもんじゃありません。
出来れば、もう会いたくないというのが本音です笑
では、また気が向いた時に書きます✍️

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