範宙遊泳『うまれてないからまだしねない』Actors' Profiles No.04 熊川ふみ


 最新作『うまれてないからまだしねない』(2014年4月19日~27日 東京芸術劇場シアターイースト)に出演する10人の俳優たち全員に、ひとりひとり、話を聞いていくインタビューシリーズ。

インタビュー&構成=藤原ちから&落 雅季子(BricolaQ)


熊川ふみ Fumi Kumakawa

1987年生まれ。千葉県出身。2008年より範宙遊泳に所属。

2012年よりA.C.O.Aの鈴木史朗氏に師事し、以降A.C.O.Aでの地域創作に多数参加。「ジョン・シルバー」(作・唐十郎 演出・鈴木史朗)には毎回参加している。

主な外部出演作に、柿喰う客「露出狂」(作・演出:中屋敷法仁)、柿喰う客「悩殺ハムレット」(脚色・演出:中屋敷法仁脚)、キャラメルボックスアナザーフェイス「ナツヤスミ語辞典」(作:成井豊作/演出:中屋敷法仁)、ナイロン100℃ 39th SESSION「デカメロン21~或いは、男性の好きなスポーツ外伝~」(作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ)、FUKAIPRODUCE羽衣「女装、男装、冬支度」(作・演出・音楽:糸井幸之介)などがある。

「露出狂」で佐藤佐吉演劇賞最優秀主演女優賞受賞。


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 範宙遊泳の劇団員として、俳優では紅一点の熊川ふみ。キュートなヒロインの役を担うことの多かった彼女だが、その語りからは、大きな葛藤が感じられた。アクティングカンパニーA.C.O.A.との出会いによって新たな、眠れる興味関心を喚起されているようにも見える熊川は、範宙遊泳と、そして今作『うまれてないからまだしねない』と、どのように向き合っていくのだろうか。


▼緊張感のあるホーム



――範宙遊泳の劇団員になったのはいつですか?

「(桜美林大学の)在学中に立ち上げて、その2年目くらい。21歳の時に正式に団員になりました。作品でいうと『透明ジュピ子黙殺事件』(2008年)からです」

――ということは6年目。

「でも全然慣れないですよ。いちばん、範宙遊泳の現場が緊張しますね。ホームなのに(笑)」

――え、どうして?

「なんでだろう。毎回ちょっとずつ表現形態が更新されてくから、それをいち早く汲み取らなきゃいけないという緊張感があるのかな……。はじめ、言ってることがわかんないんですよ、山本君の。彼の中ではイメージがあるんだけど、それが汲み取れないと怒られるから、徐々にやっていくしかないぞ、っていう緊張感が毎回ありますね」

――今回も緊張しますか?

「今の形のベースをつくった最初の作品は「東京福袋」でやった作品(『男と女とそれをみるもの(X?)の遊びと退屈とリアルタイム!暴力!暴力!暴力!』2012年)だと思うんですけど、そこから徐々に薄紙が積み重なってる感じで。その流れがわかるので、緊張感はありつつも、この形の完成に近づいていくのかもしれない、という……」

――プロジェクションを使う今のスタイルに変化してから、戸惑いはありました?

「すっごいありました。「東京福袋」の時は本当に彼が何言ってるかわからなくて(笑)、毎日死ぬほどドヤされながらの稽古だったんですけど……。でもその時は彼も言葉が見つからなかったんだと思う。今は変わって、言葉が具体的な、建設的な言葉をくれるようになってきましたね。福袋の時にがっつりスタイルも変わって、それまではストーリーが不条理で、それをナチュラルにやるからひずみが生じて……っていうものだったけど、今は人間が見てるものが増幅されていくというか、もっとフィジカルに身体に起こすようになった」

――その変化は「東京福袋」で感じたんですか?

「いや、もうあの時は何やってるか全然わかんなかったです……。何も考える余裕がないまま、もうやるしかない、みたいな…」


▼身体への強い興味

――あれは本当に体当たりの演技でしたね……。続いての『幼女X』の時は、熊川さんは他に客演されていて、外から観ることになったと思いますけども、どういう感覚でしたか?

「あ、でもやってることはすごくよく理解できたというか、魅力的で、好きだなと思いました。近しいものを感じて納得したというか。……話が変わっちゃうんですけど、私はA.C.O.A.というカンパニーによく客演していて、そこでは身体のスケールのセッションをやるんですよ。即興で、ひとりが身体の構造をひとつ作ってそれに対してもうひとりが更に身体の構造でコミュニケーションをとる」

――あ、A.C.O.A.の鈴木史朗さんに師事されてるんですよね。どういうことをやるんですか?

「例えばしーんとした空間で、じっと動かない人がヒュッと1本指を立てたら空間が一気にぶわって変わるような。鈴木さんが那須に住んでらっしゃるので、3週間とか1ヶ月程山の中に滞在して稽古するんですけど、環境音で踊ったりするんですよ。鳥が鳴いてる声とか、隣のおじいちゃんおばあちゃんが喧嘩してる声とか(笑)、犬がわんわん吠えてるのにきっかけもらって動くとか。そこに人間が加わっていくと、おかしなコミュニケーションが生まれたりして楽しいんです。だから範宙遊泳でも、根本的には違うのかもしれないけど、今みたいなことをやりだした時は嬉しかったんですよね」

――へえー、個人的に今、ダンスに興味があるので、それは面白そうですね、と感じつつ、一方で意外でもあるというか。熊川さんは演劇の女優さん、っていうイメージが勝手に強くあったから。

「もともと私、お芝居よりダンスのほうに魅力を感じていて。身体ひとつでの表現で空間をつくることのほうが、観ていてスッと入ってくるし、同世代の演劇を観ていて身体と言葉の境が溶けてるように感じるのも、身体を通してじゃないと訴えられないこと、響かないようことに若い人にはなってきてるからじゃないかなあ……。こんなこと言ったら失礼なんですけど、いわゆる会話劇への魅力はそんなに感じていなくて、私はダンスだったり、フィジカルな表現のほうに興味があるな、っていう意識が強まってる時にA.C.O.A.でやる機会を偶然いただいて……そこから、ですね。別に路線変更しようと思ってたわけじゃないんですけど、興味がだんだんハッキリしてから、そういう現場が増えてきた気がします」

――ということは今作もそういうイメージを持って臨むわけですね?

「そうですね。今回の『うまれてないからまだしねない』は劇場のキャパが大きくなってるから(東京芸術劇場)、そのスケールを大きくしたり小さくしたりを今稽古で綿密にやってます。で、自分が今何を見てるかを、内面のことだけに収めずに、きちんと身体として外に出していく。そういうコミュニケーションの取り方を、どんどん突き詰めていきたいんですよね」


▼言葉がわかるようになった

――熊川さんのそうした変化はとても大事なことのように感じるんですけど、一方で山本卓卓や範宙遊泳の変化があるとして、それはどのへんで折り合う、または折り合わないんでしょうね? 6年やってても常に同じ釜の飯を食うわけではないし、客演もするし、当たり前だけど、別人格じゃないですか。その別人格として、熊川さんの目には範宙遊泳はどういうふうに映っていますか?

「客観的に作品を観たら、ってことですか?」

――いや、作品というより、それぞれに流れている時間のほうを知りたいんです。今日のインタビューシリーズは熊川さんで4人目なんですけど、みんなそれぞれのモチベーションや時間の流れをたずさえてこの場に来てますよね。それぞれのバラバラなタイムラインが、一瞬かもしれないけど交わって、作品が生まれる。演劇はそういう場だとも思うので。

「ああ……。それでいうと、私がいちばん始めに彼と芝居をやり始めた時って、ものすごくそりが合わなかったんです」

――え、いきなり最初から?(笑)

「全く(笑)。好きなものというか、好きなセンスは似てたし、彼に教えてもらったものも全部好きだったんですけど。大学に入って学内の芝居とか、何を観ても全然面白くなくて、この先本当にどうしようって思ってた時に範宙遊泳の立ち上げ公演を観て、物凄く面白くて、あ、これだ!と。絶対この人に関わらなくちゃと思ったんです。で、最初は美術のつもりが、ちょっと話が変わっていざ俳優で参加するってなった時に、全然合わなくて(笑)。それが長いことずーーーっと続いて、それこそ「東京福袋」くらいまでそうで、なんで一緒にやってるんだろう? どうして範宙遊泳にいるんだろう? ってずっと悩んでいて。個人的には本当に大変だったんですけど、外に出てA.C.O.A.に出演するようになってから、どう言っていいのかわからないんですけど、いったんパッとそれぞれに開いたものが、今ちょうどクロスしてる状態になっている気がします」

――そりが合わなくても、何年も一緒にやってきたのはなぜ?

「その都度の作品がやっぱり大好きだから。やろうとしてることが、魅力的で面白いから、どうしても。彼の作品に関われないことが悲しいし、悔しいから」

――なのに、現場では合わない?

「何が邪魔してるのかな。たぶん言葉だと思うんです。(演出で)提示される言葉を私がいつも違う捉え方をして、それから私のエゴもあって、すごく空気が悪くなって。この状態が続いてしまうとマズいぞって思った時期に、客演を増やそうと思って、いったん範宙を離れていろんな現場を回ってから帰ってくると、不思議と言ってることがわかったりして」

――山本卓卓さんのほうも変化があったかもしれないし。

「あるんじゃないでしょうか。「東京福袋」の時とか「センスない、ダメ」しか言われないっていう稽古でしたけど、今はとてもわかりやすいというか、建設的になった。動きひとつにしても、1ミリ1ミリ、粒がひとつずつ動いてくみたいなイメージを(山本卓卓が)常に持っていて。それは舞踏の方法にもどこか繋がるから……どうしても私、頭の中で結びつけちゃうんですけど。今どう動いてるか、その粒の神経を自分の中で尖らせつつ芝居をしてみたいんですよね」


▼ 俳優がなぜ舞台をやるのか?

――今回の『うまれてないからまだしねない』ではどういう役を?

「これどこまで話していいのかな? えっと、トランスジェンダーの役です。女の子と付き合っています。人間として、生理として、普通ではないことという意識を常に払拭する為に常に緊張感持ちながら生きている……役なんですけど。え、みんなどこまでどんなふうに喋ってるんですか?(笑)」

――その役と自分との距離感はどうですか?

「距離感……。今まで範宙でうまくいかなかったっていうのは、その役どころとの距離感のことも相当あって。今まではいろいろ受け入れられないというか、私もエゴイスティックだった。こういう容貌だったり声だったりするから、中性的な役を客演先で与えられたりするんですけど、山本君は「それは別に外でやればいいことだし、俳優が自ら狭めていく必要はない」ってことで、あえて遠いことを毎回私にやらせようとしてたように思うんです。だから女の子らしい役とか、ぶりっ子とか、ヒロインとかの役を範宙遊泳では与えられることが多かったんですけど、それが自分の生理となかなか相容れないところがあったりして……。そんなの俳優のエゴでしかないから、ずいぶん私がゴネてるみたいなひどい感じだったんです。でも今回はそういうストレスがなくて、ニュートラルにやれてる。なじみやすい、ですね」

――ではシンパシーはあると?

「これは思い上がりかもしれないですけど、それ(男)っぽい格好してちょっと低く喋ったら私はきっと騙せるなっていうのがあって……。でも、そういう外面的な安心感がひとつあるから、あとは中のことを思い切り考えればいいだけっていうのがあります、今回は。今までは外見のことまで気にしてたんですよ。声とかも。でもそれは俳優として、当たり前のことですよね」

――先ほどの「身体」に関する話でいうと、どうですか?

「身体の状態にもいろいろな種類やパターンはあるんですけど、なんだろうな……キャラクターとして男らしい振る舞いをする、みたいなのはちょっと浅ましいことなんじゃないかっていう意識が最初あったんです。でも稽古するうちに中身のほうでつくってきたものが充実してきて、そうしたら演出家からわかりやすい振る舞いをもっと全然やっていい、と言われて。だから安心して、いわゆるトランスジェンダーとして、男の子として生きるということを出せるようになった。今こうやって話してる時の身体の在り方も含めて」

――そういえば、今もそんなふうに見えてきて、若干ドキドキしてきましたよ。ところで、ノートにたくさん書き込まれてますね。文字がびっしり……。

「何を話せばいいのかなと思って書いてきたんです。そういえば事前に用意していただいた質問項目に、「範宙遊泳との関わり方」「演劇との関わり方」「今作との関わり方」ってありましたけど、それはどうして「関わり方」なんですか? ごめんなさい、訊いちゃって」

――それはたぶん、離れてるから、つまり距離があるからこそ、関われる、という意識があるんでしょうね。べったりとくっついてたら逆に関わりを持てないじゃないですか。このインタビューシリーズを通して知りたいのは、一個人として、各々別人格として存在している俳優が、演出家や、劇団、作品、演劇と、どのような距離感をもって関わっているのか、ということなんです。

「関わり方かあ……。何かもう、そうすると、なんでお芝居やってるか、という話になってきちゃいますね」

――なんでお芝居やってるんですか?

「……それを明確に持ってないと、俳優業ってやっていけないですよね。こと範宙遊泳でやる時に思うことで、先日稽古場でも雑談というかみんなで話したんですけど、今現在何につけてもあまりにもカテゴリーが細分化されすぎてて、何を信じていいのかわからない状態だと思うんですよ。若い人間は特に、それを網羅するのはものすごい量の勉強をしないといけないし、それで一生終わるぞぐらいの世の中になってる。だから周りの何かを否定することが不毛な時代。それよりは在ることをどんどん受け入れて認めていって、その中で自分はこう生きてる、ってのを勇気を持って提示していくのがいちばんニュートラルというか、正しい気がしてるんです。その上で、俳優がなぜ舞台をやるのか、なんですけど……」

(少し間)

「なんでしょうね。何のためにそれを選んだかということまで自覚をしてやることによって、責任……責任、は言い過ぎだけど、ある程度の覚悟は負わなきゃいけないと思うんです。っていうのはやっぱり、社会に対しての覚悟だと思うんです……よね。社会に対して打ち出してくことを、そういう意識を持ってまずやってかないと、やる意味がないと思ってて。これはずっと立ち上げの時から山本が言ってるんですけど、範宙遊泳の芝居を観て、例えば今まで自信満々に生きてた人間が「あ、俺死ななきゃ」って思うか、それかもう死ぬしかないと思い詰めてた人間が「わ、生きなきゃ」って思うか、それを選びうるくらい、舞台は強烈なエネルギーを持ってるぞっていう覚悟と自覚を持ちながらやらないと意味がないと。舞台を観る人の数は相対的には少ないかもしれないけど、エネルギーはすごく持ってる。うーん……だから私はですね……」

(少し間)

「脈絡なくて申し訳ないんですけど、例えば3年前の震災…もうヤなんですけど、こんな話するのも。ニッポンって、思想が曖昧じゃないですか。国の宗教もないし。で、これだけ何が何だかわからない状況になって、何が何だかわからない情報が溢れて、どんどん政党も増えていって、若い人もどこに投票していいかわからない状態になった時に、どういう方法を、政策を、採っていったらいいかって、ニッポン中の何百人の政治家にはもう絶対手に負えない状態だよなって思って、私、いっそ数学者とかがやったらいいんじゃないかって思ったことがあったんです。全部数字で統計出して、計算して、これがいちばん確率高いですからこれやったらどうですか、って考えたらいいんじゃないかって。でも実際そんなこと誰もやるわけないし。……で、そう考えていった時に、思想を動かすっていうか、思想の数を動かすっていうか、人間の考えてることを変えていくっていうのは政治家がどんなに演説するよりも、映画だったり演劇だったりのほうができるんじゃないかって。あ、それなら私、そういうためになら芝居できるわ、って思ったんです。すっごいスケールの大きい話だから、とても人に話すようなことじゃないんですけど」

――いや、それを話すのはとても大事なことだと思います。

「だから、観る人の分母は少ないかもしれないけれど、エネルギーの強いステージというものに賭けたいなということが、軸にはあります」

――ありがとうございます。とても貴重なお話を聞けたと思います。『うまれてないからまだしねない』はまさに今、熊川さんがお話されたようなことを、鋭く突いていくような作品にもなりそうですね。

「そうですね。正直そんな、観てる人間への責任なんて全然負えないけど、でも、人生変えるきっかけを持ってるっていう自覚を、きちんと持ってやっていきたいんです。その覚悟を持ちながらやるっていうのが、一俳優として大事なことだと思ってます」

――背筋が伸びます。そういう舞台になってほしいですね。

「なると、思います。娯楽性もとても大事ですけどね」

――でも範宙遊泳には娯楽性も十二分にありますよね。エンターテイメントというか、観ることの快楽は常に感じるし、今回もそうなるだろうと期待しています。

「はい、それがしっかり含まれたものを、彼はずっとやろうとしてきたと思います。どうもありがとうございました」



(鈴木史朗 演出作品『霧笛』より 撮影:GOTO)


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次回は波佐谷聡です。お楽しみに。



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