5月21日

備忘録として残しておこう。

15時頃、仕事中に電話。
母が入院していた病院から。
『呼吸停止が認められました。』
娘を連れて車を飛ばした、急いでも40分。

病院到着。娘を車に残し、走った。
コロナのため、熱測って、名前書いて、病棟に確認取って………病室の前。
悲しいアラームが聞こえた。
義妹と甥っ子と交代。

アラームが鳴り響く個室に通された。
『(死亡)確認は弟さんがみえてからにしますか?』
それから30分鳴り響くアラームを聞きながら1人弟を待った。
まだ温かい母を触って、揺すって、呼んで、奇跡は起きないか?『ばあ』って昔のように笑わないか?

弟到着。
看護師さん、主治医を呼びに。
先生入室。
『〇〇さん、胸の音聞きますね、胸元開けますよ』
『〇〇さん、目に光当てますね、ちょっと眩しいですよ。』

何も答えない母に先生は話しかけた。
呼吸も心拍も、もうずいぶん前から止まっているのに。
でも、先生の優しさは嬉しかった。

『失礼します。』と懐中時計を出して時間を読み上げる。

病名、経過の説明。
『整えさせていただきますね』と看護師さん。

それから3時間後、葬儀屋さん到着。
地下の駐車場から自宅へ。
3年間帰れてないから自宅に連れて帰りたいとお願いしたら快諾してくれた、感謝。

翌朝、葬儀屋さんが迎えに来る前に近所の母のお友達が会いに来てくれた。

顔を撫で、泣きながら『会いたかった』と。

それから葬儀場へ移動。

通夜、告別式は滞りなく終了。

熱気の中、横たわっていたはずの母は粉々だった。
とても脆く、箸で掴むと砕けてしまうほど。
スポンジのような透明さだった。

初七日終了。

母の好きだったコーラを写真に供えて、食事。
美味しかった………生きてる、私。

お母さん、貴女の娘にしてくれて本当にありがとう。



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