56| Flowering
12月には蕾だった水仙の花が、ゆっくりその花弁をひらく頃。
半年ほど、自宅で療養されていた賢さんのお父さんが、帰天された。
夜から朝にかけて、名古屋では珍しいほどの大雪となった日。
その日が、お父さんがご自宅の大地の家ですごされた、最後の一日になった。
□入り口
出会った頃に、「父は医師からあと5年くらいと宣告をうけていて、ちょうどもう、それくらいになる」と、聞いていた。
大地の家ではじめてお会いした日の、朗らかで、優しい、包み込まれるようなやわらかな波動。生き仏さんのようだった。振り返れば、ちょうど、一瞬の生のおわりの一年を、ご一緒させていただいたことになる。
生を祝う。 駆け抜ける瞬間の生を祝福する。
お父さんにとって、わたしは、そんな存在であれただろうか。
時の長短に寄らず、交わした言葉の数に寄らず。
ときどき、互いの入院や検診が同じ日になることがあり、ふたりだけで少ない言葉を交わすことがあった。年の瀬、年始に交わした最後の言葉、絞り出すようなわずかな言葉も、お互い託し合う、ちから強いバトンのようだったきがする。
この次元に肉体をもち、意識の交差するよろこび。ありったけの感謝と敬意。
労いと慈しみなどを表現するに、このときのわたしは、バカのひとつ覚えみたいに、一服のお抹茶を捧げることくらいしか、考えつかなかった。
追善の茶として、どなたかご一緒なさる方がおいでになるだろうか・・・と、お待ちしていたら、
「知人から預かっている犬と一緒なのですが、お父さんのご冥福をお祈りしに、少しだけお伺いしたい。」
と、来てくださった方が、お父さんにそっくりな(!)与太郎くんを連れて来られた。
ほんとうに、お父さんがいらっしゃったようで、帰宅されたあと、賢さんとふたりで大笑い、してしまった・・・!
***
名前に含む〈朝〉の、太陽の昇る、少し手前の時間帯に、宙へと還ってゆかれたお父さん。
8月のサンドウ庵は、暑さを凌ぎ、眩しいひかりの中で、朝茶事の流れによる朝茶を。
受け継ぐいのちのバトン。魂のバトン。
あらゆるところから、祝福の降り注ぐいまこの瞬間。
あたらしい、はじまりを予感するあさ。
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