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47| 熊野①あおのいり口

 初めて熊野の地を、友人の案内で訪れたのは、2016年か2017年頃のこと。地縁を頂いてから、同行者、グループを少しずつ変化させながら、何度か訪問させていただいている。

 ー 深いふかい、森と水のくに
 
はじめてその地に足を踏み入れたときの印象は、景色や場所を変化させながらも、〈次へ〉のいり口として、いつもそこにあってくれる。

 自然で、自在で、無碍なることへの入り口GATEとして。

その瞳のうつすもの

 私たちの目は、源から溢れ流れ出るいのち・魂から湧くエネルギーの出どころ出口でもあり、私たちの内を、素のままに映し出し、切りとる窓枠のようなものでもあった。

 いま、私たちの目が、この瞬間のうちに大きく変容・変遷し、いままで形を持っていた窓枠は、そのふちを解き、境を溶かして拡張して行っている。

 まるで、窓/EYE/わたし自体が、より大いなるもののうちへと、カタチをとかし、ひろがって行っているように…。

 あるようにみえている窓枠の内と外はひとつで、向こうからひかりを取りこむかのようにみえるその窓は、同時に、向こうをやわらかに照射する、無数のいま・・の〈創造のいり口〉でもある。

 いまこの瞬間に、私たちの内からうつしだされる世界は大きく変容する。
 縦と横、こちらとあちらなど、二元の内に閉じられていた私たちの自体が、大きく、その構造をかえ、変容しつつあるからだ。

 いま、私たちが、私たちの網の目グリッド存在位置いちを大きく変化変容、上昇させることを選択し、そのことを赦した分、より、そのは、さらにひとつ・多元へと開かれてゆく。

 より濃く、やさしくやわらかな瑠璃へと。
その意図I EYE GATEが、いまここに、そっと置かれている。

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