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9|暴れ馬 有松絞りの浴衣

 晴天の週末に、今年はじめての浴衣を。
袖を通すと、綿がやさしく、肌に涼しく。なんか知らんが思わず涙ぐむ。
うおぃ、泣くほどのことかい!一年振りだから?
けどさぁ、泣かんでもえーやん…。
それくらい、柔らかくてほっとする着心地。
生まれ育った地元鳴海の伝統工芸、有松絞り。

 昔、浴衣は着物ほどには値が張らない…のが災いし、一時期、夏が来るたびに、出合ったものを求めていたことがある。

あるとき、

「・・・こんなに浴衣あってどーする・・・。」

と、冷静に気づき、その悪癖が随分落ちつきをみせていたここ数年。
にもかかわらず、昨年の六月のある日、長谷川清吉さんの金工展、加藤亮太郎さんの陶芸展を拝見しに訪れた松坂屋の一階、扉のすぐ左横に特設されたコーナーに、ふらりと吸い込まれてしまったのが運のツキ。
(もちろん買うつもりで入っていない・・・!泣!)

***

 いま出されているものに、ひとつひとつ実際に手を当てて、現在の流行、傾向を掴む。
毎年注意深くみるのが『絞り』のコーナー。
絞りのものは高価で、(わたしには)手が出ない。
いつか…、いつか…と思いながら、それはいつだろうか…。(遠い目)と。

 でも、どれもこれも美しくて、手や目に触れるだけで満足する。
幼い頃から、目や体験で触れていたり、海外へ行くときにはお土産にと持ち運んでいた郷土の宝物。
そういった重みもあるから、“わたしにはまだ早い”という感じが、いつもしていた。

 選ぶなら、やっぱり正統派の王道、藍染め絞り…と、思いながらみていたら、隣にある変り種の一枚に、目と手がとまった。
同じ瞬間、随分長い間、かなり離れたところから、じーっと、私の様子を見つめておられたお店の方が、動いた気配を察知した。

 わたしが手にとったのは、灰白かいはくの色地に橙で染め出された絞り。
珍しすぎる。あまり見かけない色合いの上に、企画としても、流行りという感じではなさそうだと直感した。
作家さんの、冒険心が作らせた、真剣な遊びのようにも、イチカバチカの賭け、のような気概も、わたしには感じられた。

 「ぜひ試着してみてください。手伝います」と仰られたお店の方の手を借り、着終わる前に言われたのは、
「まぁあなた。あなたやっぱり、難しいのが似合う方ね。そうでないかと拝見していましたが。
これは誰にもは着られない。驚いたわね。」

 言われる前に、自分でも気づいた。
浴衣として、少しクセがありすぎる。

 生まれつき、外見の色素や個性が割合薄いわたしは、割とどの国、どの形状、どんな色の衣服にも溶けこみ馴染んでしまう…という、特性がある。
だけど、これだけの個性をもつ浴衣が目の前にあらわれると、外見上の薄っぺらさを突き破って、奥にある本来の個性が、浮き上がり、飛び出してくるらしい。
相互作用? 浴衣の呼びかけに応じるように出てくる。
(実際、これがあらわれてこないと、着物はただのコスプレになってしまう…。)

 馬に例えるのもどーかと思うけど、暴れ馬を乗りこなすのは、同じように暴れる波を内側に持つ乗り主だ…と、鏡にうつる姿をみて思った。

 ビロードの深い色が気になり、ずっと握りしめていた帯を差し出したら、お店の方は何も言わず、スタスタと、棚から黒と裏が鴇色の別の帯を持ってきて、ささっと巻いた。

 それがまた見事で、すべてがカチっとハマるというのは、こーゆーことを言いますよね…、
心の中でバカバカバカと思いながら、私は完全降伏した。

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 時間があれば、勉強のために…と、デパートに入っている呉服屋さんに足繁く通っていた頃、着物を着ていくと、店員さんに、声をかけられることも。
決まってわたしはニッコリ笑って、「すみません…。お茶を習っておりまして。今日はお着物の勉強に来させてもらいました…。(買えません…すんまへん…)」と。

 祖母が伝え残してくれた、この着物というものの奥深さや厚み、真の価値を、私たちは次代に残せるのかということに、わたしは勝手に焦燥感や危機感をもっていたことがある。

 時代に合わない、触れたこともなければ、その機会も、必要もない。それもわかる。流通する着物の質は、少しずつだけど落ちている気もする。
どこへ行っても「昔の着物はやっぱり違うわね」と必ず言われる。
わかるひとにはわかる。だけど、それらの着物はいまどこへ…?

 そんなことをついポロリと溢してしまったとき、母の世代の女将さんに言われた。「あなたね、着るの、着物。そしたら、着物の方から寄ってくるから。」「???」「着物を着ていればね、あなたに着て欲しい、着られたいと思う着物が、自然に集まってくる。そういうものなのよ」
どうやら、着物も、ちゃんと巡っているらしい。
だから、わたしなんかが気張らんくたって、きっと、大丈夫だ。

〈過去記事より〉

今日は、島根県の水の都、松江で10年に一度行われる船神事、ホーランエンヤの環御祭が行われています。

五穀豊穣への願いが込められた船唄。五大地を代表する音頭取りの唄と太鼓に加え、もちろん踊りも素晴らしいのです!!!船の舳先(へさき)には、天を指しながら舞う剣櫂(けんがい)が。艫(とも)では、采振(ざいふり、女形)が天空へと采を振ります。

神輿船をかこむように約100隻、約1kmにも及ぶ大船団が色鮮やかに、おだやかな小波に揺られながら、ゆっくりゆっくりすすんでゆきます。

島根に所縁を持ち、祭り(祭事)や神ごとが、生活のなかでさほど遠いものではない家に育ったこともあって、わたしにとって、唄い、太鼓、踊りは、特別な表現、というよりも、“ホーム”みたいなもの。
ひとたび始まれば一体となり、どこまでがわたしで、どこからが響きなのか。
そんなこともよくわからなくなります。

そんなときには、ゆらゆらと身を預けきって、ただ大河の流れに運ばれる舟のようになっているのかも。

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写真は、数年前から縁あって通っている岐阜の郡上踊りにはじめて参加したときのもの。単衣(ひとえ)の着物をすっ飛ばして、浴衣を着たくなるこの暑さ…。
夏やなぁ!

【2019.05.26記】

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