55| 澄むまま溢れるまま
およそ、〈快適な旅に〉とは程遠い気候環境の中、2019年8月以来、4年ぶりに島根に帰省。
5月か6月の気候のよいときに行くつもりが、片づいていないことがいくつもあり、幾度か順延。
島根で予定していた諸用もキャンセルするなどして、流れを見守ることに。
賢さんからのあと押しもあり、両親の帰省のタイミングとすりあわせて、8年ぶりに共に。
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2年前の10月初旬。
島根をご案内する旅を企画して、イベントをたてた。
夏頃から感覚のうちに響いていた『MOVE』を、素直にタイトルとして案内を出して数日後。
「あれ?なんかちがう」と、出したばかりの案内を引っ込めた。
その数日後、賢さんから「はじめまして」のメールを受けとり・・・
「いま、MOVEするのはこちらなのですね‥」と。
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それから2年越しの島根旅。
旅から戻って、いま、先日山の日に稽古を共にしたあかりちゃんから発せられた『休』が、あたらしい風が吹き抜けるように、体内の中心を巡り、エネルギーフィールドをやさしくひろがりながら、響いている。
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〈入り口(ご案内)〉
2022年11月、東山ではじめて開催したサンドウ庵の会のおわりに、次の会の情景が、真白な雪とともに立ち上がって消えた。
“雪・・・”と受けとったわたしは、間髪入れず、
「水仙の準備」と決めて、にっこりした(と思う‥。)
「雪中花」だから水仙、というのは短絡的。
だけど、感覚には水仙、とあった。
わたしは、雪中花と呼ばれる水仙がむかしから好きだ。水の仙、と書かれ、呼ばれるところも。
前日夜の会食の席で、記憶にないが、「明日は雪だといわれたから‥」と発言していたらしい。
翌日(会の当日)の朝、一週間前に実家の庭から頂いてきて、開花の兆候を気にしていた水仙の花は、硬い蕾のまま。
かわりに、窓のカーテンをあけた賢さんの、「やっべぇ、すげぇ!雪だー!」と無邪気に驚く声がきこえた。
深いところはしずかに。
こちらのわたしは、
「わ〜‥思ってたより、ずいぶん分厚く降ったなあ‥。真っ白だね!すごいねえ・・・。」と。
咲いたのは席中の花ではなかったけど、雪景色が、拡張する茶室空間としてそこに咲いていた。
雪が降り、土におり、溶けて大河に、海へと運ばれてゆく。大自然の浄化の循環が働く大地は、自然なトランスフォーメーションをあと押しするエネルギーに満ち満ちている。
手はいつも、空にひらいている。ありのまま。流れているままに。
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