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52|有馬・六甲 Sunlight

旅は、〈51| hallelujar〉より、つづきます。

  2日目は、朝ふたたび芦屋へと戻り、同行者の賢さんが、20代の頃に働いていた建築設計事務所の所長さん(師匠)のご自宅へ。
大学、設計事務所の後輩にあたる方もおいでになり、数年ぶりの邂逅の場に、わたしも加わりました。

 これまでの歩みについては様々に、例えば日々の、ふとした瞬間に、交わし合うことなどもあるものですが。師匠や、後輩の方からお伺いして、立ち上がってくるそれらは、どれもこれもが微笑ましく。 
なんだかこちらまで、くすぐったく。
輪を掛けて、照れ屋で恥ずかしがり屋な一面をもつ賢さんが、横でトキドキちょっと固まったりしているのも、愛おしく。
たくさんの祝福を受けとりながら、邂逅の瞬間を共に。

六甲山 磐座へと

  建築案内等して頂いているうちに、すでに甲の刻を過ぎ。
空の雲行きも曇天から小雨がパラつきはじめる中、旅のおわりに、六甲山にある磐座へと向かい、その後、六甲ガーデンテラスから、眼下に明石海峡をのぞみました。

***

2023 春 四君子苑

 2023年、春。
 賢さんの案内で、京都にある北村美術館の四君子苑を訪れました。賢さんにとっては、約20年ぶりの再訪とのこと。
 苑内には案内係の方々が手厚く配備され、至るところで、建築やお庭に関する、細やかな説明を受けることができました。

 最奥には、鴨川を隔て、大文字を真正面に望む広間「看大」があり、そこで、神戸・西宮からいらっしゃったという女性二人組が、熱心に、お部屋の説明を受けていらっしゃいました。

 説明がおわり、案内係の方が場を外されても、暫くそこに佇んでいた私たちのところに、どこか別の部屋から老夫婦がふらりと出ていらっしゃり、私たちに「ごゆっくりなさっていってくださいね」と、ご挨拶なさりました。
旦那さまには「案内係」の札が掛かっており、奥さまの身体を気遣い、手をかしていらっしゃるようでした。

 前述の女性ふたりが引き続き、「あれはこうかしら」などとお話されているのを耳にされた旦那さまが、横からすこし補足されると、奥さまが、「お父さん!わたしのことはいいから、皆さんにご説明してさしあげて!(皆さん、)このひと、案内係なんです(笑)」と。
いつの間にか、八畳間に6人が座円を組んで、また、静かなお話が始まります。

 7年ぶりだという夏仕様の簾の設えと、照明のない、太陽のひかりのみ受ける空間は、日が暮れれば真っ暗になる…との説明を受けた際、西宮の女性が、「私たちも、震災のときには、電気も水もガスも止まり、本当にそのような生活をしました。」と。
「あのときは、ほんとうに怖かったわね」と、奥さま。すると旦那さまが、ふと思い立ったように、静かに語られたことがありました。

 特別公開のたびに来苑され、2時間ほど、同じ場所にただじっとすわられて、動きもせず、同じ石像を見つめておられる方がいらっしゃる、と。
そして、「ありがとうございます。また、力を頂きました。」と、お礼を述べてお帰りになるのだそうです。
その方は、仙台の方からお越しになっているようだ、と。
旦那さまは、「わたしにはわかりませんが、石は、おひとの心を癒す、不思議な力を持っておるんでしょうなぁ」…と。

 西宮の女性は、静かにそっと、微かに頷かれながら。その瞳はゆらゆらと、涙を湛えて、揺れているようにみえました。

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   四君子苑のあたりはむかし、応仁の乱ですべてが焼け落ちたところです。にも関わらず、庭には、その時間を超える樹齢の古い木々が多くあるのはなぜでしょうか、との質問が、旦那さまから出されました。

 ー 遥か昔のその頃。京の鴨川が、まだ暴れ川だった頃、このあたり一帯は、鴨川の中洲だったそうです。

 水に奪われたものたちも、水に守られのこったものたちも、いまここにそっと、共に、あるのですね。

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