43| 自然の創造
〈いり口(ご案内)〉
参加者の方から、会の数日前に、
と、ご連絡があり。
「もちろんです!よろしくお願いします。」と、ご返答差し上げたところ、ふたたび会の前日に、
「お花としてライ麦を持って行きます。」
と、写真と共に、メッセージを受けとりました。
季は梅雨入りを迎える少し手前。
正直に申し上げマスと、
・・・と、あまりピンときていなかったわたしは、
紫陽花を、用意していました。
午後になり、ドタドタドタと、大きな荷物と、新聞紙に包まれたライ麦を両脇に、エネルギーに満ちたその方が、賑やかに音を立てて栄の間に飛び込んできました。
「なおさん、麦持ってきましたよ!お花いいですか?」
「いいですよ!紫陽花下げますね!」
声を合図に、床にある花器の前に坐り、イキイキヨウヨウと、麦を放りこみはじめます。
暫くののち、「これでよし…。」と、花器の前をはなれると、それまでじっと、後方から一部始終を見守っていたもうひとりの方が、「すこしだけ…。」と言って、手直しに入ります。
麦を花器に活ける、花器の内に生かすだなんて、皆初めての体験で、こうかな、どうかな、う〜んう〜ん…とイキイキ四苦八苦。(笑)
最後の締めには、80代の先輩が、優しく、丁寧に手で触れてくださり、ようやく床に、麦がその相を現しました。
その瞬間になってようやく、わたしは、
と、きづいたのです。。
畑のライ麦を持ち込んだ当人の口からは、会の最中、『麦秋』という季節の銘が聞かれることはついぞ無く。
その言葉を、知ってか知らずかはさておきまして・・・。(笑)
日々のなかで、畑仕事に精を出し、四季折々の実りや成長を、「さつまいもがこんなにとれました!」など嬉々として、(頼んでもいないノニ)写真付きで報告してくださるのと同じ様に。
いまこの瞬間に流れているものを、その場に迎え入れ、共有してくださったのだと推察します。
その日、会場と自宅間の茶道具の荷物運びを手伝ってくれている賢さんが、帰宅早々、口を開いてひと言。
・・・ええ。はい。いや。もう、そうでしょうとも。
茶花の定石の紫陽花をいけたわたしには、もはやグゥの音もありません。
あの麦の登場から、わたしはもう、圧倒的敗北感に打ちのめされ・・・・・・。(笑)
と、いうより、実のところ、
と、圧倒的感動で、うち震えていました。
一応の、亭主らしきものでありながら、わたしのしていたことといえば、正々堂々、ただ一連の流れ、展開を呆然と眺めていたのみ!(自信をもって!)
そのはじめからおわりまで、直接の関与なく、そして、眼前にあらわれ出た麦の、黄金の美しさに圧倒されまくり。
ただただ上下ひっくり返って、サカサマになって帰宅したのですから・・・!!!(笑)
それにつけても。
さて茶の湯とは、どこからどこまでか。というのが、少し前からのわたしのテーマとも言えるかもしれません。茶の湯とそうでないものの境はとうの前にすでにとけていて、滲み出ているのはお茶なのか、はたまた自然宇宙か。
愚問ですかね…。
でも、そんな体験をご一緒できるなら、望外のよろこびなのです。
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