44| サンドウ庵
「これからは、可変で可動。常に流れているような・・・。」
さて、何のことでしょうか。(笑)
日々の対話のなかにある、たとえば茶の湯のこと、大地(土地・地球)のこと、宇宙のこと…。
どこか遠くにあるそれではなく、私たちのいまに、共に呼吸し、存在する、ものやこと。
どれもこれも、大した意味のあるわけではないのです。
ときに、車中で。ときに、料理中に。食事のテーブルで。ゴロッと横になりながら。共にみちを歩きながら…etc..。
ときに、前触れなく、ふと今この瞬間にあらわれるそれらは、しずかにキラキラ流れ出るように、風にそっと運ばれるように、紡がれてゆきます。
それはとても細やかで、感覚がひらかれ、研ぎ澄まされていなければ、ともするときづかれることのないものかもしれません。
でも私たちは皆で、そのやわらかくあたたかな、pureでpowerfulな流れを共有し、関わりあい、それぞれの手元に引き受けて、その足もとより新たな創造を行い、皆で共有する領域(みなもと)へと還しています。
そのことを想うと、どれも、これもが大切で、かけがえのない瞬間ですね。
さて、話を少し戻すと、お茶室のこと、庭(植物)のこと、家のこと、暮らしのこと、生きること死のこと、いのちのこと、不動産のこと…etc..この不動産についての会話から、「これからは、不動ではなく…」と、先の表現に続いています。(笑)
私たちの交流から創造される、お茶というものの場の相。
それ自体が、いま、無数・無限の可能性として、今ここに、私たちを通し、流れているように感じるのです。
ー新生地球。
つながりを回復し、その中心から、しずかな、波のような動を産んでいます。
動の中に静は含まれ、また、静の中に動が含まれてもいます。
それがお茶でもあり、きっと、すべてに通ずることでもありましょう。
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