39| 若葉雨
小満の、いのち満ち満ちてくる頃。
2日間ほど、自宅の入口ドア付近にじっと位置し、守護してくださっていたカエルさん。とても愛らしく、“ありがとね”と、感謝が湧きあがりました。
この日、わたしは床に掛けるお軸を、会場(岡崎市甲山閣)から徒歩10分の自宅に置き忘れてしまい、到着早々、プチ騒ぎ。
すると、入口にほど近い、隣の間の喧騒に耳を傾けていた受付係の方が、「もしよければ、このお軸でしたら、お用い頂けますよ。」と、貸し出しリスト外の掛軸を、ひょっこりお持ちくださいました。書かれていたのは、
これに、「不入時人意」(時の人の意に入らず)と、続きます。
「松は常に緑を保ち続けているが、その常住不変の在り方に世の人々は気づかない、との意で、万古不易の真実の存在に気づかすにいることに警告を発したもの。」
ーというのが、『茶の湯の銘 禅のことば(淡交新書)』による解説です。
〈常住不変〉(過去・現在・未来にわたって変わることなく常に存在する)と、〈万古不易〉(永久に変わらないこと)。
あえて、その対にあたる語をあげれば〈無常〉や〈有為転変〉でしょうか。万物は常に変化し、移り変わる、と。
かつてこの世とされてきた、時の流れ、時空間をもつこの世界、世の中にあって、揺れ動き、刻々と移り変わるすべてのこと。
それら、目にみえ、きこえ、手にふれる、五感等をもって確認し得ること。
それと同様の確かさで、いま、すでに在った、在り続けてきた変わらない、ひとつながりの確かさが、濃い・薄いの違いあれど、この世界に、確かに滲み出ています。
ここまで、ひと形を携えてきた様々が、真白の中継を経て本来の相に還るとき、その翠は、いまここの一点に勢いよく、より濃く顕われ出、ひろがりを得て光ります。
真白に洗・新われ、そのほんとうを変化の内に現わす、本来の流れに入る。
その未知・道を共に歩む、よろこびとたのしさ、あたたかさに、確かな振動を感じながら。
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