79| やわらぎの回転
桜の咲く季節に、はじめて、ヘアカットをしていただいた、フリーランス hairmake みよしあかりちゃんにお願いして、自宅でヘアカットをしていただきました。
夏至へと向かう、週末の夕刻。
立夏を過ぎるあたりから、鳥や動物たちの声が、家中により濃く、伝わるようになりました。
夏をむかえて、窓を開けて風を通していること。また、家の位置や向き、高度なども、そうあるからかと思います。
家に居て、電話していると、電話の向こうも、背後に様々な音が響くのか、
「鳥の声?」「うん」「鳥を飼っているの?」「違う。外(で鳴いてる鳥)。」
「いま外?なんかにぎやかだけど…。」「ううん、家。動物たちの声。近いから…。」と、いう具合。
音も、波も、湿潤や光の濃さも相まって、匂、香、彩、触、味わいも一段と。五感をも含むたくさんが、匂い立ち、ゆらゆらとしています。この日も、しずかで穏やかな空間に、様々な訪来あり。「動物の声ですか!?面白い!」と、あかりちゃんも、クスクス笑っていました。
カットを終えたあと、お茶をしながら様々なお話を。
あるシャンプーの説明をしていただく際に、あかりちゃんの発した言葉は、「此処みたいな(シャンプー)。」
言葉を超えたやり取りに集中すると、覆うものはひとつひとつ落とされ、はらわれてゆきます。
つづいた言葉は、「主張はないのに心地良い………」
“主張のない…”という表現に、内側がひくひくっ(歓びの擬音・・・)と、呼応…。
ある回路を使うなら、「主張?存在として、いのちとして、主張のないということがあるのかな、、、」とか。「“主張のない” という、主張・・・?orz」とか(笑)、何処かでショートする可能性も高いのですが、いま用いるのは、そちらではなく。
ただ風のままに、ふわっと目の前を吹き抜けてゆく風がみえました。通ることで、通りみちのあること、そのあたり、背景のあること。どこから来て、どこへ向かっているのか、など。その奥や、内なるもののゆたかさを、知らせてくれています。そこには言葉も、意味も、理由などもなく、すべてのいのちたちと共にあるところ。
存在の中心、奥へ奥へと向かう回転と、中心から毎瞬、表出する回転は同時に起きていて、かつて、その面を形成していたもの、主張のようなものは、ペリペリ、もしくは、はらりはらりとはがされながら。或いは、模様の一点として、のみこまれ、吸収されながら。
真中心、その核から、存在自体の、再構成、再構築のようなことがなされている・・・などと、感じています。
ゆっくり、ゆったり。地味に、地味なのですが、、大変容のような、予感です…。
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