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30| 一なるもの
いまこの瞬間。
輻輳する自然宇宙、多次元の、どの位置・いちから、〈自分〉という、大きなエネルギーの一端が、沁み顕れ出しているか。
絞り落ちた一滴のように、現れでた先での、私たちの振る舞いや表現は、土に落ちるひとしずくの様に、土を湿らし、潤し、あたらしい生命を与えうるもの。
滴として、会い、交わる土の質、特性に関わる必要性を持ちながらも、その位置・いちに着地する、働き(意図)はあきらかだ。
みずから絞り落ちたのならなおのこと、その滴下に、与え受けとりうるすべては、まるごと、含み、顕し出されている。
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まず、茶室に入ると、床の間に飾られているお軸とお花。
〈紙に墨汁〉で記す白と黒の世界と、〈花〉のいろをもつ世界。
それぞれが、お互いそのどちらにも寄らず、床の間という位置・いちに現れている。
茶事にあっては、その特質をもって、各々が、室を陰陽に転ずるために用いられるし、同時に床の間に飾られるならば、それは、会の様相を顕す。
いずれにしても、それぞれの質を持って現れ出す位置・いちにおける、振る舞いや表現のあり方は、何ものにも制限されるものではなく、いつも、多様で、自由だ!!
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茶席に座して、長年わたしが好きなのは、微かな(ときに割と大きな!)音で知らせながら、水と火が交合し、水が湯へと変化変容してゆく様。
美味しい一服を点てるために大切な、湯の煮え(沸き)加減を湯相といい、この相=変容の位置・いちを指し示す言葉もある。
ゆらゆら立ち昇る湯気を眺めているのは、それだけでわたしにとって、一番のご馳走だけど、それは、半霊半物質、次元の輻輳、重なりを顕す湯気が、いまこの瞬間の〈自分〉の在りどころ、いち・位置を、それとなく教えてくれるからだと思う。
一座一会の心、只この火相・湯相のみなり。
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さて。湯相が松風を指すころ、客は勧められて、茶(苦味)より先に、菓子(甘味)を口に含む。
これは、甘が先で苦が和らぐ、というより、多少の苦味を持つ茶の本来が、際立つからではなかろうか。
(注:お抹茶自体、そんなに苦くないですがネ! ^_−☆)
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主がその位置・いちにあれば、疑いなく当然と、客もその位置・いちにあるのが会の顕れ。
茶席をしつらえ、会の起こりを受けとり、丁寧に紡ぐ亭主としての現れも、
その会を受けとり、主がそのいち・位置に在ることを与える客の現れも。
主客が共にその位置・いちにあるのは、すべてが本来の循環(一・いち)へと帰し、和あることのあかし。
はじめからおわりまで、たった一碗のお抹茶が繋ぐ、亭主と客のえん(○)。
循環(一・いちなるもの)への回帰。はじめから。
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