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62| ひかり
法隆寺修復の体験を通じ、また法輪寺、薬師寺の再建を通じて西岡氏が感じ取ったことは、木の寿命は鉄の寿命より長いということであった。その理由は、樹木は伐られたとき第一の生を断つが、建物に使われるとふたたび第二の生が始まって、その後何百年も生き続ける力を持っているからだという。(後略)
Ⅳ 木は生きている 1生物材料 より
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わたしは法隆寺の解体修理のとき、樹齢二千年のヒノキが千三百年もの間法隆寺を支えて来て、いまもなおそれぞれの持ち場で役割りを果たしているのを見て、木のいのちの尊厳にうたれました。それは神としか思えません。
台湾で、二千年のヒノキを立木で見たときもそうでした。ときの流れを枯れた色に変えて、樹齢にふさわしい風格と重味が、枝にも葉にもにじみ出ていました。わたしはこういう木に向かうときは、一心に拝みます。
「宮大工の良心に誓って、そのいのちを殺すようなことはいたしません」
と。そのあとでわたしはノミやカンナをあてることにしております。(後略)
Ⅰ 飛鳥と木 木の死因 より
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ときは啓蟄。
植物園を歩くと、“冬ごもりをしていた虫が、姿を現し出すころ” 宛らに、小さな虫が大量発生中!
陽の気にあてられてか大円舞・・・。
文字通り、こちらの瞳の中(正確には眼面)にまでダイブしてくるほどで、一週間後、手には透明フェイスシードを持ってふたたび歩きましたが、虫たちの円舞はやんでいました。
いのちの芽吹や光彩、開花。淡々と、刻々と。
とまらず、移り変わり、流れてゆく光景に、なんだか励まされるいま、この瞬間。
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日々の稽古場。−うつわ−
お茶盌を選ぶ際に、“あるものを全部みてみたい”と、リクエストあり、予定なく、器を畳にひろげることとなりました。
いま、わたしの手元にあるお茶碗やお道具は、わたし自身に由来するものは数少なく、様々な流れから、
「よかったらつかってください」
とゆずり受け、集っている器がほとんどです。
「宮大工の良心に誓って、
そのいのちを殺すようなことはいたしません」
道具あり、道具をつかわせいただけることが、どれほどありがたいことか。
器あり。その器に、注ぐことのできる、そのことと、同じように。
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3月、弥生のサイコロは、「すみ(炭)」「すみ」と出て、もう一度振ると、「浄」。
ゼロへと。空の青はよりあおく澄みわたり、ひかり。ときは春分へ。
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