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61| 風をおくる

〈 高野箒(こうやぼうき)〉
関東以西、本州、四国、九州に分布し、山地の主に日当たりのよい林縁などに生える。その名は、高野山にて箒の材料とされたことに由来する・・・とか。


 この日、下火をおこすに十分な火がとれず(※ガスボンベ切れ)、わずかに火のうつった炭を運び、釜の灰に置くと、心細そうに消え入るかごとく火の様相。

「風を送ってみよう…!」

 大きな団扇うちわを持ち出してきて、風を送ると、消えてしまったかにみえた炭の表面から内側まで、風に触れるところからブワッと元気に紅く顔を出し、

『消えてへん!!』

 でもまた直ぐに、・・・すん・・・と、しずかに。

うちわでふわっと風を送る。
ブワッと火の相が現れ出る。
・・・すん・・・。
ふわっと送る。ブワッと火がつく。
・・すつ・・・。ふわっ・・・。ブワっ・・・。

 ふわっとおくる。ブワッと現れ出る…。


 呼吸のような、その確かな呼応が面白く、愛おしく。
応援するように、見守るように、かなり長い間、風を送るうちに、炭はあかあかと、燃え出していました。

3月1日

 手を伝い風をおこし、炭を伝って火がおこる。

 日々、いつもと、それまでと少し異なる通り道をとおって、受けとることはたくさんありますね。

 火をおこすに、ほかにいくつも選択肢があったのです。うちわをとりに、走り出す前に。
ガスコンロで工夫することもできましたし、そのとき、じっくり探すことをしなかった、あるはずのカセットコンロのガスボンベは、ほどなく一缶分発見され…。

 でも、あの瞬間、大切なきづきを得る体験を、自ら選んでしたのだなぁ‥と。
いや、そんな表現でよいのかわかりません。
思いがけぬハプニングに大いに焦り、小一時間、さて、炭はつがれ、活きた湯のために十分な火はおきるだろうか・・・。
手伝いに、風と火のおこりを真剣に、釜にへばりついていたわたしは汗だくでした。でも、当人にとっては、その体験自体が、〈贈りもの〉、でした。

 

 日々にちにちの稽古場では、すわる、に続いて、割り稽古がはじまります。

 茶湯にその中心はたくさんあり・・・。
ありますが、お抹茶を一服点てる点前手つづきの中に、その大きな核、言い換えればお宝が、何重何層何幅にも、埋め込まれていることを、身をもって会得し、確信してきました。

 それゆえに、伝い手として、表裏一体の、あやまればそのどちらにも転がり落ち得る真中心の核、点の部分を、どれだけ繊細に、慎重に、伝うるか・・・。
過去にもう何度もなんども、失敗し、挑戦し続けているようなきもします。

2月26日

 風を送ると、火がきます。
ボォっとあかくともり、周縁にわたるかたちや存在ここにあるを、知らせます。

 照らされ、浮き彫りになるのはまず、自分、というかたち。
そして、そのかたちある自分を通り抜けてゆく過程では、そのあることをまるごと掬い、やわらかく赦しつづける、肚と胆力がいりますね・・・。

 そのときはぜひ、あたたかく、やさしいお抹茶のグリーン色も、どうかそのお供に。

 きっと必ずや、私たちのハートを大きく開いて、バランスを保ちながら、ひろがってゆくお役に、立つのだろうと思うのです。

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