冬の、最も厳しい大寒の新月の日に生まれ、花も、生命の気配も、月の光もない中(生まれたのはお昼の時間帯!)、か細い産声をあげた(らしい)わたしは、
魂がその日を選んだ意図、のようなものが、ちょっとだけ、わかるような気がします。
光もよわく、生命がすべての活動を止めてしまったかの如く、何も無いように思えるとき・ところにこそ、感じられる動めき(MOVE)のあること。
きっと。そのことをよく知っていて、堂々と、そのど真ん中に、飛び込んでき(やがっ)たのでしょう。。(!?!笑)
お茶の修練を重ねて15年。
そこが点前座でも客座でも、座するたびに感じてきたのが、「いのちが息を吹き返す感覚」。
・・・“息を吹き返す”ってね!?(笑)
でも、ほんとうに、ぺしゃんこになっていたいのちが、ムクムクと立体的に
って、立ち上がる。
それでわたしは、〈いのちの再生〉や〈いのちの発露〉を助けるのが、お茶の在り様なのではないか、と、思ってきました。
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すこし話が変わりますが、易学で言えば、「利」即ち「和」(だ、そうです)。(すみません、ワタシはちっとも易に明るくありません‥)そして、
この「休」について、「休は美」であると解釈されていて、つまり、易の視点から考えれば、〈利休〉とは即ち〈和美〉の意と理解することもできるのだとか・・・。(『茶の湯と易と陰陽五行/関根宗中著』より)
さらに余計な蛇足ですが、いつぞやのワタシも、好きなように(笑)、〈わび〉についてポストをあげていました。