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28| お茶って宇宙

 パートナーが送ってくれた写真。
美しい茶器に、丁寧に淹れられたお煎茶の放つみどりいろの美しさに、思わず、“お茶って宇宙だね” と、溢れおちました。
息を吸って吐くかの如く、特に理由もなく、ただ、そうであること。

***

 以前、『Nao s Kainalu』というfacebookページで、お茶や着物に関することを綴っていました。
Nao はハワイ語で『さざ波』のこと。
Kainaluも『波』で、“波であること“ 、の意。

上述の写真をみながら、ふとそのページのことを思い出し、のぞいてみたら、「メモ。」とはじまるその文中にも、同じことが綴られていた。(笑)

“そんなわけでお茶とは普遍だ。(飛躍)だって宇宙だから。(もっと飛躍。でも説明は割愛。笑)

メモ。
 和や日本文化を愛しているけれど、わたしがほんとうに伝えたいのは、たぶんそれそのものだけではない。

 例えば、茶道の世界には、もうすでに、先人や素晴らしい伝承者がたくさんいらっしゃる。わたしもその流れを学び続けているし、これからも学び続ける。
その学びは一生終わることなく、深淵で奥深いもの。
深い敬意と感謝と、そして畏怖があって、わたしはその方たちに代わり、もしくは加わって、伝承の守役に力を注ぐ、ひとではない…ことは、自分が一番よくわかっている。(身の程をわきまえている!笑)

 入門して間もない頃、“お茶を語れるようになるなんて70歳を超えてから”とピシャリと言われてゲンナリした。不遜なわたしは、「それでは人生が(今世が)終わってしまうわ」と気が遠のいて「早いとこ(お茶)やめよう」と思った。(のになぁ…。)

 『桃栗三年 柿八年』。
出来の悪い茶番見習いのわたしが、はじめて「茶の湯」の世界の真髄の一端に触れ、“あぁあ、、これは、、、、”と膝を打ったのは門をくぐり8年が経ったころ。いま、「呼吸」の世界に触れて3年がたつけれど、やはりその真髄の入口に触れている気がする。
その点を通過すると、世界は以前と全く見え方が違ってきて、他の世界との繋がりや、その根源が表に顕れ出す。

 身体を本来の位置に戻し、自然な呼吸の道筋をつくり、本来の意識で生きることをたすける「呼吸」の世界は、わたしのおもう、文化として閉じられた“有形無形のカタチ”ではない「わたしが伝えたい茶の道のなにか」と通ずるものがある、ような気がする。

 私たちはいま、本来の自然の状態でしに来ていることがあるのだから、少なくともわたしには、本来(自然)に戻るために使える時間はそんなにない。先が詰まりまくっている。

 茶道に話を戻すと、そんなわけでお茶とは普遍だ。(飛躍)だって宇宙だから。(もっと飛躍。でも説明は割愛。笑)

 でも、わたしはお茶とは日本という国土・風土ゆえに生まれたものだ、とずっと誇らしく思っていた。
だから、2年くらい前に、「日本を捨てよ」と鮮やかに言われる夢をみたとき、青ざめて起きて、冷や汗をかきながら、お茶やめろってこと?海外に移住する運命ってこと?お前、言う相手間違えてる、とケンカを売った。
でも、鮮やかな夢は嘘はつかないから、それ以来、お茶に触れるたび、“日本をステヨ”はどこかで静かにこだましていた。

 何を言われているかわからないし、分かりたくもないけれど、わかるときは必ずくるから。
心の底から愛するものを捨てよ、と言われて葛藤した時間は、血を吐いたりボロボロになったり大変だったけど、握りしめていたものをそっとはなしてみたら、そこには、想像とは違う景色がひろがっていて、想像とは違う世界がみえるようになった。
握りしめていたその手の力をゆるめてみたら、息を吹き返して、活き活きと流れ出すものが、ちゃんとあるんですね。

 2年が経ち、あるとき、あのときのステルは、ツクリカエル ことやったんかとストンと腑に落ちた。
そうかー。そーだよね。捨てられるわけがない。たぶん捨てる必要もない。
力が抜けたと同時にまた青ざめた。
え、、、。ツクリカエル??!

2021年冬至
魂のみちを、ますます力強く。
共に歩み、新しく創造するみちは、ますます輝く。

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