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周りとの違いをただ受け止めること

投稿の間がずいぶんと空いてしまいました。noteで様々な記事を読んでいるととても興味深く面白く、自分の文が恥ずかしくなってきまして…

恥ずかしさもありますが、考えていることを書く、伝えることの練習の意味も込めて、感じたことを書こうと思います。

今回の写真はキキョウの白い花。白の地に紫の絞りが入っています。

同じ株から開いた他の花には模様はなく、この花だけに紫色が散りばめられています。

お手入れをしながらこれを見た時、思わずきゅんとしてしまいました。

こういうのはきっと遺伝子のしかけで、システムで考えれば「バグ」なのだと思います。

植物の体の中で行われている、様々な試行錯誤を想像すると、私にはたまらなく魅力的に感じます。

その不思議さに魅了された先人達が、改良の技術を研究して様々な品種を生み出してこられたのでしょう。

題名に書いた言葉は、この花のことではないのですが、最近自分が感じていることです。

同い年の友人と並んで話をしていると、人生のイベント(冠婚葬祭など)にあまり参加してきていない自分に気が付きます。

常識とされることや、巷で話題の最新機能にも疎い。

感じ方も装いも選ぶものも、大きな範囲で見ればそんなに違わないはずだけど、少しずれている。

幼い頃は、それを面白がって自分を誇張して見せたり、少し背が伸びてからは、周りの目をとても気にして萎縮してしまったように思います。

足並みを揃えて。みんなと同じように。

少しずれてしまうことで、周囲の人に笑われると、過敏になっていました。

最近は、なんとなく諦めた感じがあります。笑

性別や年齢に関わる世間一般のイメージに合わせることが、息苦しく感じる。正直に言うとやりたくない、と感じてしまったので、もう諦めよう。

そう考えられるようになってきました。

もちろん、そうした考えは親しい人にしか言えません。自分の中に、考え方の芯を作っていければよいのかなと思っています。

世の中の動きを見つつ、内面の豊かさのために耕すことも続けていきたい。

野の花を眺めて調べたり、白いキキョウが紫の模様を花弁にちりばめたのはどうしてなのか考えたりすることを、私はこれからも続けようと思います。

苦しむことは多いだろうけど、同じような「ずれ」を持つ人に出会えるかもしれません。共感できるところもあれば、そこは譲れない、と違う意見を話し合うこともあるでしょう。

それでも、このバグがあってよかった、と思える日のために。

周りと違うことを受けとめて、「ずれ」によってしんどい思いをしている人に、ほっとする言葉をかけられたらいいなぁと思います。



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