アーティストは自身の楽曲を「廃棄」できるのか

『泉谷しげる 春夏秋冬』(ブログ)「Re: セットリスト」

泉谷しげる 自作2曲の著作権放棄希望「嫌いな歌をイヤイヤ歌ってもな~」

幾分話題になっているようである、リンク先の記事について。以下、上記泉谷さんのブログの5月5日の記事から引用。

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以前記事で触れた『自殺のすすめ』と『先天性欲情魔』と云う楽曲らしきをこのさい永久に“廃棄”することにしたした。

(中略)

モチロンこの2曲の著作権利も放棄したいので(どやって手続きしたらイイんだ?)書類なんぞあるならサインしちまお!(笑)

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著作権放棄=パブリック・ドメインになれば、誰でも楽曲を自由利用できるようになる。だから、泉谷さんの言う「廃棄」が、楽曲を「誰にも」利用できなくすることであれば、泉谷さんはむしろ利用を禁止する方向で著作権を行使しなければならない。本来、「情報」とはコピーされても減ることのない、誰にでも自由に利用可能な無体物である。その「情報」を司る権利である著作権とは、実は情報の流通を「禁止」するための権利なのである。

ただ、著作権も万能の権利ではない。「特定少数」の限られた対象に聞かせる演奏や配信はそもそも著作権法上の著作物の利用行為にあたらないし、楽曲の「個人的な範囲内での複製」や「非営利・無料・演奏者無報酬での演奏」も、著作権法では例外的に許されている。そのため、一度生まれた曲は、実は著作(権)者であっても真に抹殺することはできない。その意味で、実は作品は、本質的には著作(権)者からも自由である。そのことを、図らずもこのニュースから感じる。

泉谷さんの言う「廃棄」が、あくまで「自身の」楽曲からの決別であり、その手段としての著作権放棄と理解することも可能だろうか。例え親であっても子を殺せないのが著作権法の定めなのであれば、そうやって「楽曲を手放す」ことも、作者と楽曲の関係の一つとして十分納得できるようにも思う(JASRACとの著作権信託契約がある場合には、事態はもう少々複雑だが)。

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