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好きなマンガ③

こんにちは。

マンガ家、土田世紀を知っていますか?

17歳でデビューし、その画力とストーリーの完成度の高さに同業者、関連業者からも天才と評された方です。俺節、同じ月を見ている、編集王など、数々の名作を発表しましたが、2012年4月、肝硬変で急逝しました。



土田世紀との最初の出会いは、俺節という演歌歌手を目指す若者を描いた作品で、当時僕は高校生で、ジャンプをほぼ卒業し、ちょっと背伸びしてマンガも青年誌に移行してきたところで、スピリッツに連載していたマンガです。

当時は、絵柄も古臭いし、テーマも泥臭いと、ほとんど読み飛ばしていました。

あの時代は、もっとかっこいいものとか、新しいものとか、刺激的なものに憧れていたのだと思います。

そのあと連載された編集王は、編集という裏方役から見たマンガ家マンガなわけですが、まんが道大好きな僕はしっかりハマって、毎週楽しみに読んでいました。

手塚マンガも大好きだった僕は、やはりこのマンボ好塚編が一番印象深く、感動した、大好きなエピソードです。

それから就職したりしてしばらくマンガから遠ざかる日々が続きました。もうマンガを読んでるような歳じゃないとか勝手に思って。

でも、やっぱり人間って、帰って来るんですよね。
好きだったものに。
感動したものに。

30を過ぎた頃に、またマンガ熱がふつふつと沸き立ってきたんですよね。
休みの日に、昔好きだったマンガをどうしても読みたくなって、マンガ喫茶行ったりして。

昔読んだときにはわからなかった、気づかなかったことを発見したり。

若い頃、大した挫折なんてしなかったし、人間の弱さや汚さなんてものも実感できなかったですよ。

それが、社会に出て色々経験していろんな人と出会って、我慢したり苦しんだり、上手くいかなかったり。

そんな時に、土田世紀と再び出会います。
泥臭い、ど真ん中ストレートをガンガン投げてくる。
悲しみ、苦しみ、切なさ、そして、あたたかさ。

あのマンボの苦しみは、もしかしたら土田世紀本人の苦しみだったのかもしれません。
夜回り先生を描いたのは、土田世紀が誰かに助けを求めていたのかもしれません。

土田世紀のマンガを読むと、表現できるものがあるっていいな、と思います。
これでもかと描き込まれた人物、背景すら、土田世紀の想いを表現するのに足りていたのかは、わかりません。


好き嫌いは、あるかもしれません。
でも、人間の本質のようなものが、真っ直ぐに描かれています。ぜひ多くの方にどの作品でもいいので手に取って読んでみてほしい、と思います。


⇒to be continued