すべてが手遅れになる前に

気になることがある。なんか引っ掛かるというか、以前観た光景を違うかたちで観ている感じだ。時間移動して、同じ演劇を違うキャストで観ている感じなのだが、なぜ引っ掛かるかというと

内容が良いものに見えて、実はよくないやつ。

その映像を観たのはYouTubeだったのだけど、まぁ最近あるスピリチュアル系のコンテンツだったのだけど、記憶の中で『スポークスマンに見える。。。上祐っぽく見える。。。』と思ってしまって、それでオウム真理教を振り返ってみたりしたのだが、よく似ていると判断した。

というのも、私はオウム真理教をリアルタイムでテレビで観ていたので、まったく知らない人よりも、多少の記憶を持っている。小学校高学年くらいの時に坂本弁護士一家が行方不明になるというのがあったように思う。それ以前もムーとか噂の真相とか、なんだかよくわからないオカルト系雑誌が売れた時代があり、麻原彰晃の空中浮遊の写真が度々取り上げられた記憶がある。

いちばんオウム真理教が身近に感じたのは、高校の同級生の住んでいる地区から選挙でオウム真理教が候補者として出たという話があって、その友だちが麻原彰晃マーチを覚えてしまい、歌っていた。。。

そのあと、幹部の刺殺がテレビで放送されてしまった記憶があり、その次に松本サリン事件が発生したような記憶があり

私はわりとオウム真理教の時系列を覚えている。

オウム真理教の幹部になっていった人たちは、当時は大学生だった人。しかもほとんどがエリートだった。財力がある家の子ども。

今度はターゲットは高校生と主に意識高い系の女性のように思う。おそらくは、ぎりぎりオウム真理教を地下鉄サリン事件くらいしか知らない層とまったくオウム真理教を知らない若い人たちのように感じた。

私はオウム真理教を理解しているかというと、していないと思っている。理解していない。理解できない。という姿勢でいないとまずい。わかりませんという意見を持っていないとまずい場合も生きていてあるのだ。たとえるならば、貧困の理由として「いらない」ということができないというのがある。必要のないものまで購入してしまうことが貧困の原因だと当事者がわからない。4人家族で都心部に住み、電車、地下鉄、バスがあれば車はレンタカーでも大丈夫だったりする。それが1人1台自家用車を持ったことで他人からすると「それ、ほんとうに4台必要?」と思って意見したところで「悪口言われた〜!」と理解できない人には理解できないし、その時点でお互いに理解するのは不可能という場合に近いものがある。オウム真理教を理解できない必要がある。一線を引かないと、容赦なく引き摺り込まれるアンダーグランドの世界だ。

それをわかった時、人は人をのみこむだろう。そして、また人を探して、のみこみ続けるだろう。献金で根性を見せろ!的な。。。その献金は実は『人間(できれば女性!情で、いろいろできるから!)』みたいな。。。はーい、ばかでいいでーす!いらないでーす!と、空気読まない姿勢が一生を左右する場合がある。

難解なほど理解すると、気分良くなるのが人間なのだが、それを間違うと

間違いを認めず「間違っていない」と無理にでも正解を作り出すのも、また人間なのだ。

そういう意味では、オウム真理教を理解しないで振り返る必要はあるかもしれない。

私がオウム真理教について間違っていたことは、マスコミの報道を信じたことだ。ひとつは当時のエリート大学生が『麻原彰晃をばかにするために会いに行き、ミイラ取りがミイラになった』というもの。もうひとつは松本サリン事件は一般薬剤師がおこしたというもの。松本サリン事件については、新聞がこんな間違いをしてしまうのか。。。という事実であって、偽情報だと証明することに随分時間が掛かったことを覚えている。酷い話だった。だから、確実だと思っていた新聞でさえ、売上のために間違う。

ただ『ソレ』を検索してみると、私と同じ意見の人は多数確認した。

『ソレ』も入り口は出版物。つまり、

本だった。。。

これも私が記憶するオウム真理教のはじまりの物語と

同じだった。。。

教訓
いらないものには「いらない」と言おう。
場合によっては人が出てくる場合もあるが「私には必要のないものです」と言おう。それでも怯まない場合は「今から、あなたは私には必要がない人間だ」とまで言わなくてはいけない場合もある。それでも怯まない場合は110に電話を掛けよう。「そこまで?する必要ある?」と思われるかもしれないが、結果的に『なんで断らなかったんだ!』となってからでは

すべてが遅いので。
巻き込まれるのは、あなたひとりで終わることはなく、周りの人も巻き込まれるとわかっていた方がいい。

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