理想に近づくために

児童、生徒、学生、と、呼び名を変えながら学校に通ったが、私のような支配された状態で生活している子どもは、同じ穴にハマると思います。それは

『みんななかよく』

なのですが、先生たちが『みんななかよく』ですべてを済ませたい気持ちもわかります。私の憧れのサンリオも『みんななかよく』をスローガンにしています。

残念ながら、子どもでも人間であって神さまではないので、支配欲は発生します。これは変な話なのですが「私って、すごい!」で終わればなんの問題もないのですが「うん、あなたはすごいね!」と褒め称えて終了しようとすると、なぜかすごい子が毒を吐きはじめるのです。

「あなたは、たいしたことないけど、私はすごいんだよね」

この犠牲者、けっこう多いように感じます。現実として「私って、すごい!」というのは、ただの思い込みであって、普通よりちょっといいくらいだったりする場合が殆どです。あるあるですが、村でいちばんの美人だと自分で思っている女の子が、大都市に出ると、誰にも相手にされないとか普通にあります。閉店を判断することが早いほど損害は少なく済みますが、「私って、すごいのに、すごい私に気付かない、こいつらがおかしい!見る目ない!」まで行くと大怪我します。ほとんど事故みたいになります。

。。。負けは、認めましょう。

負けを認めないとずるさは加速していきます。ひとりで暴走するのは構わないのですが「私って、すごい!」であるために、誰かが犠牲になるんです。それは

やさしい人です。
やさしくて、気弱な人ですね。

やさしくて、気弱って、本来は美しいことなんです。美しいから、汚される。そんな感じです。本来なら、護られるべき人が護られない。ではどうすれば?という話になりますが、一般的には、ずるいことはいけないことと認めさせるとか、負けを認めさせるとかだと思いますが、絶対に強気の方が表面上では負けを認めさせたところで

超怨んでる。。。

ですよ。『うわぁ!超怨んでる!何言われるか、何されるか、わかんねぇ!』というのがあるんですよ。本来なら『みんななかよく』の前に『孤独ということをわかりなさい』なのですが、

日本、ショートカットしてる。。。

。。。なので、どこかで変えるとしたら『褒め称え合う』になるかなぁ?というのがありますね。おぎやはぎ方式ですね。一度『私って、すごい!』をなかったことにします。ただ『私って、すごい!』がどこからはじまったかというと、完全に身内から発生しているはずで、既に時遅しではあります。アウトかもしれません。ですが、やってみるといいんじゃないかと思うのです。

『お互いのステキなところを3つ探してみて』

こんなさりげないことが、後々宝石のような記憶になるかもしれません。3つくらいなら、見つけられると思うのです。普通にチャームポイントがウィークポイントだったという場合もありますが、誰かを褒める習慣って、大切なことだと思います。

なぜならば、日本は減点式だからです。よく欧米では人を褒める習慣がありますが、あれは普通に暇つぶし的なことなんですが、あれっていいよね!と私が思っているから!それだけ!

私の最近の習慣で流行っているのが『自分とは関係ない美人に「美人ですね!」と言う』というカスハラぎりぎりのやつなんですが、実際のところ、美人を美人と言うのは外野からしたら相当おもしろいと思いますが、

ステキさとおもしろさの2強があると、相当強いです。

人を褒めるって、ステキなこと。そして、それはけっこう

勇気がいること。

人を褒める習慣って、なかなかのものなんですよ。なぜならば、私たちは恐ろしいことなのですが『人を蹴落としてでもトップを狙うような椅子取りゲームのような教育』で育っていて、それは実は『みんななかよく』とは言葉では教わっていたものの、内容はただの『椅子取りゲーム』だったんですね。お山の大将を育てていて、それって、世界基準からすると

いちばん恥ずかしいやつ。。。

だと思います。。。厄介なのが年齢が高くなるほど、まずい場合が多いと。『私って、すごい!』と誰かをけなす文化だと。深刻な話です。私の世代から上はほとんどアウトでしょう。ここは圏外として、これからの人たちには、

「平和って、ステキだね。って、沖縄の子が作文を書いたんだ。そのステキな日本にいるあなたは

世界をステキにできる才能があると、私は思っているんだ」

若い人に託すことは、ステキな言葉を使える技術を持つこと。そうすると、少しずつですが、ステキな言葉で自分が変わり、あなたの言葉が

周りを変える。

要は「人は自分の言葉で汚れるし、自分の言葉できれいにもなれるようにできている」ですかね。

thank you!

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