教科書からnoteへ

ふと、気がついた。
教育機関で勉強している時は常に教科書が正しく、それ以外は却下!という世界にいた。私のような便覧とか資料集とかを読んでいるような人間は「テストに出ない無駄なことを!」というようなことを言われがちだったのだが

便覧の記憶があると、勝手に教養があると思い込むんですよ。

便覧が大好物だったので、もっと地図帳とかも読んでいた方がよかったと。

教科書の内容は、わりとベタな内容なので「知ってるし」くらいなものなのですよ。

教科書とかテキストとかないはずの人生の中にいるはずなのに、結局一生テキスト出てくるんですよ。

第一歩は雑誌類ですね。これ着てないとダメとか、マストアイテムとか。若いほど流行に影響されますね。周りからも言われるし。そこにテレビの影響もあります。女性は一生振り回される部分かもしれません。

パーソナルカラーとか
骨格診断とか

絶対次もなにか教科書的なやつ、仕掛けてくるのでしょうが!と思っています。簡単にすると、日本人は絶対藍色は似合うようにできているので、上か下にネイビーをもっていけば、だいたいどうにかなるんですよ。最低限、ネイビーのジャケットがあれば、なんとかなるんです。または、ネイビーのデニムを履けば、上は暗くならなければ何色をもってきても、だいたい大丈夫。あとは、日本人は黒を選び過ぎ。実は黒と似たような感じでエンジ(えび茶みたいな色。女子のジャージにありがちな色)を使うと、意外と違和感なく赤を取り入れることができるよ。

占いとかも、あんまり振り回されない方がいいですね。見ますが、参考にするかというと、できたりできなかったりですね。そんな毎日お金かけられないから、あったら。。。くらいの感じです。

占いが入り口の新興宗教は普通にあるので、いつでも主導権は私であり、熱を入れないように。場合によっては、ホストやホステス化する場合もあるけど、

それはどの仕事でも同じところはあるかもしれません。。。

マニュアルの通りにしか動けない人っていて。近年でびっくりしたのが、袋がすべて有料化したんだけど、私がやりがちなのが袋を買い忘れたり、或は、ひとつの袋に入れすぎて入らなくなったりするのだが、すべてまとめるために袋を買い求めることになるのだけど、

お店の商品を入れることはわかるが、客側が手荷物をまとめたいということがわからない店員さんがいる場合がある。。。

。。。マニュアル、お願い致します。。。

あとは、テレビショッピングも教科書見てるみたい。。。と、思う時があり、父親がよく買っている。すごい。一生洗脳されて、人生終わるのだろうと。ラジオショッピングでも買ってた。きっと、自分もこんな感じになるのだろうと思ってる。

しかし、母親は。。。

大病を患ったこともあり、父親よりは洗脳されていない感じがある。今日も頂いた蕨を下茹でしてから、テキトーに煮物つくってた。調理はクリエイティブだ。だいたい練りものは、何に入れても強いような気がする。炒飯になるとを最初に入れたやつ誰だ。天才か。色彩的に赤が入るのがいい。なると、買わないけど!

たぶん、一生テキスト的な何かが出てきて、それを基準に消費するようにできている。それを基準に良し悪しを言い続けて、一生消費して終わる。ちーん。

。。。なので、すべてあわせる必要ないかな、と思う。すべてあわせられるほどは、まだまだな感じだけど。

たまに
「それは、どこのメーカーの服ですか?」
と聞かれる時がある。それで
「ユニクロのオンライン商品で」と言ったところで
「見えない!」と言われたことがある。

もう少し、もう一歩なのだと思う。

一般的なファッション誌という教科書の世界から、
私というnoteの世界へ。

服でオリジナルを制作するようなことは私はできないけど、一般誌から少しずつ離れていきたい。そうしないと、いろいろやっていけないですね。教科書とかテキストありきの世界だと、お金を掛けることに終わりがないです。ファッションは特に終わりない感じになるのですが、教養としての本を買うことは続くなというのはありますね。最近は調理本を買いますが、ネットだと普通に目をやられるので、本を買うのですが、調理本は基礎をやってから、その本が自分に合っているか判断するのですが、合っていた場合は相当遊べます。

たとえば、パンを基礎では6個つくるとしたら、3回目あたりで、同じ分量で2個で大きなパンをつくる、とか(実際にやりました)。

最初は教科書ありきでも、いつかは私というnoteになったらいいなと、思ってる。まだまだ発明とか発見とかはない世界にいるけどね。

thank you!

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