早大生からパチプロへ♯1 破産

はじめに

初めまして。ハナマサと申します。早稲田大学入学後、パチンコパチスロ麻雀を常習的に繰り返した罪により留年を3回、卒業後に水道屋になりました。元ギャンブル中毒者です。今はそれほどの博打ジャンキーではないのですが、後遺症としてじゃんけんでも脳汁が出ます。

noteを始めた経緯ですが、常々やりたいなとは思っていたのです。物心がついた頃にはnoteを書かなきゃ(使命感)という思いに駆られ、重い腰を上げてようやく始めることにしました。私に何が書けるのかな、お伝え出来ることって何かなと考えて筆を取っている次第です。

考えた結果、私にお伝えできる特殊技能はありませんので、自分を切り売りするしかなかったです。ですが、やはり何に置いても積み重ねというものが大事です。つまり7年間大学に通ったということは、知の積み重ねと言ってもいいはずです。だからお伝え出来ることもあるはずです。

具体的には、受験というギャンブルでの勝ち方、麻雀の楽しさ、パチンコ屋での勝ち方および負け方、大学生活を独りでも切り抜ける方法、大学生活で人脈を築かないとどうなってしまうのか、教授へのお願いメールから土下座までのスムーズな流れ、奨学金を学費以外に使った末路、などなど多岐に渡ります。人生において役に立つ話がたくさんあるはずです。せめて反面教師として使ってください。

という事で、まずは大学生活の大半の時間を捧げたパチプロ時代のお話でもさせてください。


当時のパチンコへの思い

あれは大学一年生の4月でしょうか。友人からパチンコで2万円勝ったという話を聞きました。大学に入学して間もない私は、パチンコなんて当然やったことはありませんし、むしろ軽蔑していました。パチンコをやってる奴を全員漏れなくパチンカスと呼び、朝鮮玉入れと罵ることすらありました。うるさい公衆トイレとすら思っていました。この時を本当に恥じています。

物事って自分で体験してみなきゃわからないことだらけなのに、よく知らない外野の人間がしたり顔でワーワー言っていいことなんてこの世にないんですよね。物の本質ってやってみなきゃわからないことだらけなんです。

パチンコにおいてもまさにそうで、外から見える景色と中から見える景色ってぜんぜん違うんです。まさか自分がパチプロになるとは思いもしませんでしたが、やってみなきゃわからないこともたくさんあります。

そうやってプレイヤーとして何年も業界に関わった人間としての結論は、パチンコやってる奴は漏れなくパチンカスですし、あそこはうるさい公衆トイレです。大学時代の私はそこそこ優秀だったみたいです。唯一認識を改めなきゃいけないなと思ったのは、比較的綺麗なトイレが多いという点ですね。何事もやってみなきゃわからないものです。


奨学金

ではなぜ、そこまで毛嫌いしていたパチンコをするようになったのか?そのお話の前に、大学生活における学費の話をさせてください。

まず私の家では、大学の学費は自分自身で支払うというルールが定められていました。義務教育は終わってますし、自分の意志で進学を選択していますので、至極当然であります。大学進学当時の自分に年間100万円の支払い能力はありませんので、奨学金を借りることになります。低利子での借金です。

自分の借金なので、自分でいくら必要なのか選択出来ます。私は月8万円コースを選択し、12ヶ月で96万円、そのまま学費として流用することにしました。また入学金や新生活への準備などのために、最初に50万円が振り込まれました。

全部使い込みました。

そんな毎月8万円自動的に振り込まれたら、ベーシックインカムかな?って思っちゃうじゃないですか。最初に50万円も振り込まれたら、お祝い金かな?って思っちゃうじゃないですか。この件に関しては、私の過失割合は3:7くらいだと思っています。そのまま天引きしてくれない大学側の過失割合が高いと思っています。

当然前期の授業料の50万円なんてどこにもありませんので、奨学金がまだ振り込まれていないということにして親に建て替えてもらいました。そのままなあなあにして150万円くらいは支払ってないお金がありますので、学費は自分で支払うというルールは三人兄弟の一人目から崩壊しました。

ちなみに二人目も似たような手口でルールを破りました。三人目は現役大学生なのですが、最近「もしかしたら留年するかもしれない」みたいなことを言ってました。早く留年して欲しいなって思ってます。

親のスネは噛まれすぎてもうないです。


今となっては勝手に笑い話にしてますが、使い込んでしまった当時の心理状態はめちゃくちゃです。心は冷えてるのに冷静な判断は出来ないという賢者タイムならぬ愚者タイムです。当時はまだ実家から大学に通っていたのですが、親と顔を合わせると奨学金について追求されるのではないかと思い、本当に家に帰りづらくて外で散財してました


こんな生活を続けてちゃ駄目だ!もうギャンブルしかない・・・!

これが私のパチンコとの出会いです

そして終わりの始まりです。

To be continued

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