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「まちの中に居場所がある」って、どういうことなんだろう。【今週の加藤さんvol.7】

「今週の加藤さん」
「今週の加藤さん」は“最近何か気になってる話題とかありますか?”というとてつもなくラフなお題を、花咲爺さんズ代表の加藤さんに聞いてみるコーナー。聞き手は弊社シオヤ。

今回は、花咲爺さんズが関わっている長野県飯田市と千葉県長柄町から「居場所」について考えてみたというのお話です。結論は、出たような、出なかったような。

シオヤ:
先日飯田市にお邪魔しましたね。もう行くのは5回目くらいでしょうか?どうでした?

加藤さん:
いい意味で落ち着ける場所になったよね。もう何回も行ってるし、まちのどこに何があるかもだいぶわかって、どんな人がいるかもわかってきたから、飯田に行くことがそれほど特別なことでもない感じがする。飯田も自分の場所のひとつになってきたかな。最近は。

シオヤ:
いい意味で慣れてきましたよね。でも、私的には気軽に行くにはあと一歩なのかなと思っていて。

前の飯田訪問の時に、一人で前乗りしたんですけど。その時、飯田に着いてみて「やることも行くところもない!」と思ってしまって、ちょっと寂しい気持ちになったんです。このまちのどこかに知っている人は必ずいるけどすぐに会いに行ける感じでもなくて、なんだか居場所がなくて宙ぶらりんな感じがしました。

加藤さん:
そうなんだ。僕だったら、着いて時間があるんだったらご飯食べたりカフェに入ったりしちゃうからあまり思わないけど。

でも、「居場所がない」っていう感覚って、会社として追及していきたい部分だよね。もちろん人によって感じ方は違うと思うけど、多くの人が居場所があると感じられれば幸せだしいいまちになると思うから。居場所があると感じられるって、どういうことなんだろう。

シオヤ:
本当に知らないまちに旅行で行ったんだったら、別に寂しくないんです。暇でぶらぶらすることも思い出になるから。でも、ある程度知っていて、どこに何があるかもわかっているのに腰を落ち着ける場所がない感じだと、寂しいんですよね。

加藤さん:
何か期待値が上がってるのかな?

シオヤ:
多分そういうことなんでしょうね。何だったんだろう…。

加藤さん:
勝手知ったる街だと思ってるのに、意外と「あれ?知らない」ということに出会うと寂しさを感じるのか。

例えば気軽に入って「ちょっとPC作業させてもらっていいですか?」って言えるような場所がいくつかある、みたいなことがわかりやすく「居場所がある」状態かな。

シオヤ:
まあ、そうですね。

加藤さん:
長柄町だとどう?居場所があるって感じる?

シオヤ:
どうなんでしょう?場所はないかもしれないですね。でも、飯田よりも長柄の場合は人との距離が近いんですよ。「今から会いに行ってもいいですか?」って気軽に言えるから、場所はないけど過ごしようがあるというか。

加藤さん:
そうなのか……住まいであるファーストプレイス、職場や学校みたいなセカンドプレイスの他に、サードプレイスとして気軽に行ける場所とか会える人も持っている。そうであれば、良いというか、居場所があって落ち着けるまちになる。ってことなのかな。

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