#497 ぬるま湯〜にするための努力 後半戦〜

今日のわいわい学び気づき便り
#2022年3月23日

どうもこんばんは⭐️
#長すぎてしまう記事は
#前編後編にして
#書けばいいんだと今更気づいた澤井です
#今までは書きたいけれどめんどくさいから自分の中に消化しながら
#言葉を削って削って書いてた笑

今日は、ぬるま湯にするための努力〜後半戦〜です。

昨日、ぬるま湯に浸かるなよ!と言ってくる人のパターン分けと意味を整理しました。

まだの方は↓

https://www.facebook.com/groups/3901852613211375/permalink/5094392333957391/

そして、そこから続きです。
子供がこの言葉を言われるのは、
「(僕と違って)いい環境で過ごしやがって
不自由のない生活に溺れるなよ」
的な背景があります。

個人的には、子供が言うケースは言われる方も言う方もどちらも多めにみてしまいがちです。
#子供の過ちだから責めようがない

加害者被害者の線がはっきりしにくいんです。なぜなら、その言う子供も本当はこんなこと言いたくなかったけれど、未発達な嫉妬や憧れからその言葉が漏れてしまうからです。かと言って生活にそこそこ自由があって、愛のある家庭で育った子も言われる側としてはたまったもんはありませんよね
#じゃー僕にどうしろと言うのさと言いたくなるね

つまり子供の頃に言われるパターンは、寄り添う側面があるということ

一方で、大人になってからこの言葉を言うには、苦労をしろよ。と言った他人を責めた形での思いに変わります。大人は子供の時よりももっと自由で選択肢があって自分でいかようにも出来るはずなのに…

全員が全員苦労する必要があるとは思ってなくて、目標のために苦労をすることはあっても良いけれど
そもそも誰かもしくは自分を豊かに幸せになるために苦労を取るわけであって

楽にさせてあげたい、大事にしたい対象を見失っては元もこうもありません。

#なんだかだんだん熱くなってきたぞ

まとめると、大人はぬるま湯の気持ちよさを知っているんだから
熱湯でも冷めた冷水でもなくぬるま湯を維持できるように頑張ることが一種の素敵なことなんじゃないかなと思います

それが、
守る強さにもなるし
たくましい優しさに繋がるし
かっこいい大人になることなんだと思います

この動画を見てそう思いました。
興味ある方はこちらも見てみてー

https://youtu.be/l9TJgHd-1KY

んじゃまたねー!

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