2024年は「猿の自分」を律して、記憶にも記録にも残る黄金の1年にしてみないか?|#週刊まずモテ 第105話
ハナです、
今週の #週刊まずモテ は、「いい一年の作り方」について。
いきなりだが、
人間は、サルだ。
みんな人間は、「自分は理性的な存在である」と信じたいものであるが、しかしながら事実としては、人間であるより前に、サルだったし、なんならもっと前は爬虫類だったり・鳥類だったり・魚だったりした。
そういう「原生物」から進化してきたからこそ、私達は「理性」でいちいちコントロールせずとも、心臓は動くし・汗はかくし・ごりっぱな朝立ちをしてしまうわけだね。
考えなくていい不安ごとを考えてしまい、
猜疑心で人を疑ってしまい、
やるべき仕事をやらずにスマホにハマってしまうのも、
まあ、同じことだ。
そのすべては「理性的に考えて」あるべきではないものたちだけれど、事実、昨日も今日も、あなたも私も、それらすべてをコントロールすることなど、できなかったのだ。
このように人間、実は理性でコントロールしている部分なんてほとんどない。
なんなら一日のうちの90%以上は、半自動で行動しているとの調査結果もある。
またあらゆる生命維持機能(呼吸、拍動、消化、排泄、などなど…)は、そもそもほぼ全自動で24時間行われている。
そう考えると、「理性」こそが人間を人間たらしめるものであるのは事実かもしれないのだけれど、「それ以外の無意識の生命活動」のほうが、一日のほとんど大部分を占めるのではないか、みたいに思えてくる。
さらには、その「理性」みたいな部分も、人間には理解できないけれどサルにはサルなりに、イルカにはイルカなりに、言語があったりするらしいわけで、人間様だけが特別偉いわけでも何でもなさそうだ。
つまり、人間とサルの違いは、単なるグラデーションだ。
そんな前提整理がある中において、未熟者は「サルの色合いが強いまま」振る舞っているのが現実。
ま、公立中学校のヤンキーみたいな感じ?
またあるいはホス狂、キャバ狂、ギャンブル狂なんかもそれにあたるのかもしれないね。
そこで中級者になると、「そんな動物園みたいなヤツらに囲まれるのが嫌だな」と考えて、あらゆることを理性でコントロールしようと考えていく。
ところが、そうした彼らが次に気づいてしまう現実は、「理性的に日々選択しているはずなのに、世の中は不合理・理不尽・不都合なことばかりだ」ということ。
(動物園のヤツらはおいといて、)みんながちゃんと理性的に生活をしていれば、、、
そんな世界が実現している"べき"だ、っていうのが当たり前のはずなのだが、その全てにおいて、まったくもって実現していない世界に気づく。
「べきだ論」の敗北だ。
これを「理性」で考えて考えて、無理くり意味づけしようとしてみても、現実は現実であり、曲げられない。
妄想で自分を慰めてみても、明日から世界が鮮やかに変わってくれるわけではないのだ。
こんな不都合に気づいてしまった人はその次、また新たな「世界解釈の物差し」が必要になってくるはず。
それが、今日伝えたいメインメッセージ、「人間はサルだと受け入れたうえで、現実主義で生きていくこと。」
このレベルまで行くと、まさしく人生の上級者になってくる。
私達はどうしようもない、サル。
だけれど、理性の部分が少しだけある、美しいサル。
そう受け入れて、じょうずに人生の荒波を小さなボートで漕いでいく。
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