この動画で、わたしは養老さんの動画を初めて見ました。
衝撃でした。
あなたは「都合よく同じということにしてしまう」つまり
強引なイコールに服従する近代人のやり方を恐れ、憤っていた。

どなたがどんな生き方をするのも自由です。
でも、幸か不幸か、人間は社会生活を営む生態なので、
そのどなたかの影響が全体に及びます。

イコールの世界への懐疑はわたしも強く持っていて、
みんななぜこれに従うのか、わからなかった。
でも、全員がすべて一回性であり、全く違うという前提では
社会生活を営むことが難しい。
適切にイコールさんと付き合う論拠はないだろうか?

わたしは人間が共通して保つ動物的な感覚にこそ、
イコールを適切に持ち出す理由が見つけられると思っています。
花を見て、夕日を見て、嘔吐するひとはいないはずです。
それは倫理ではなく、生物的な反応だと思います。

ぶたれたら痛い、木漏れ日は気持ちいい。
人間に備わる動物的な仕組みに沿って、こういうことを
イコールにしよう、みんなで大事にしよう、ということは
まだやれることがある気がしています。
管理のためのイコールではなく、自由と尊厳のための
イコールの使い方があると思っています。

わたしも方程式の世界がよくわからない子どものひとりでした。
ありがとう、養老さん。
養老さんは感覚を消せずに生きる、わたしのようなひとを
そういうものだ、とすんなり受け入れてくれた。
これまで、こんな話をしてくれるおとなに出会えていなかったから、
ずっとさみしかった。ありがとうございます。

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