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コロナウイルス奮闘記 #5

世間のコロナウイルスの対応について今思っていることを書こうと思います。

コロナウイルスの話題に触れるのは、すごく怖いことです。
情報を精査した上でこの記事を書いているわけではないし、それに、個人的な意見を言うのはいつだって怖いのです。
また、政治的な発言は堅くて真面目な印象を与えてしまうし、ポジティブな内容にはならないので、進んでしようとは思えませんでした。
でも、僕なりに今の現状を見て思っていることを吐き出さないのも息苦しいことなのです。
自分なりの感覚や意見を言わずにいるのは苦しいことです。胸の奥がキュッとします。恋愛感情と一緒です。
だから今回、悩んだ末に書こうと踏ん切りをつけたのです。
正しい情報・思想だけを仕入れたいという賢明な人は読む必要はないので、どうぞ、作品紹介まで飛ばして読んでください。
作品紹介に興味がない人は、せめて今後の公演に来てください。


今のコロナウイルスの騒ぎ方、妙に違和感を感じます。
単刀直入に、僕は、**外出自粛を強く訴える今の大衆の空気がどうしても気に食わないのです。
**
現状、政府が外出自粛を訴えるのは自然なことです。国民の安全を守らなくてはなりません。
一方で、大衆が急に声を大にし始めたのが、なんだか怖いのです。
「じゃあ、外出自粛しなくていいのか」と、そういうことではありません。

今、大衆が事の重大さを思い知るのに十分な根拠があります。
首都圏での数字上での感染拡大確認。
それを受けた安倍総理の「コロナ対策を国を挙げてやっていかねばならない」という旨の発言。小池都知事の会見による「ロックダウン」や「外出自粛」といった注意喚起の発言。
また、志村けんさんの訃報。

ここまで来たら、誰もが「ああ、コロナやべえ」と思うでしょう。
現状で「コロナまじ怖くねえ」って人は中々いないと思います。

ですが、多くの人が危険性に気付いてからここ数日の社会の空気の変わり様に一種の狂気というか、異様さを感じるのです。ここまでなるか。という。人間の習性、「感染する力」とでも言うのでしょうか。
最も強い宣伝方法は口コミだと言いますが、それと同じ効果を今発揮されて、社会全体の空気が作られているのではないかと思います。
感染する力」が、悪い方向になって「流される力」になっているのではないかと。

「PPAP」が流行った時も、「タピオカ」が流行った時も、若者は若者自身が異様さを感じるほど、「タピオカ」は感染していったのです。

煙草に関する教育にも似たことを感じたことがあります。
煙草は、喫煙者の命を削り、また喫煙者本人だけでなく、受動喫煙者の命をも削ると学校で教育されてきました。
教育の効果は絶大で、若者のほとんどはこの事実を常識としています。
「寿命が縮むんなら、煙草は吸わない」と大抵が思います。
「俺は煙草で病気になる気がしねえ、人間超えてっから」という人は中々いないと思います。
「煙草は悪いもの」と教えられて育った僕たちは、すっかりそれが浸透して、「煙草は悪い」が感染しています。
反日教育もそうです。「日本は悪い」は感染しているのです。
日本も戦時中、「鬼畜米英」が感染していました。
教育とは恐ろしいものです。

今回、「外出自粛」が感染していると思います。
感染することは悪いことではありません。人間の習性なのですから、仕方がないことだとは思います。
でも、僕はここで一度冷静にならなくちゃいけなんじゃないかと思います。「外出自粛」が感染した世の中で、見直すべきだと思います。

なぜなら、「日本は悪い」は果たして正しいことでしょうか?
また、「鬼畜米英」は正しいことでしょうか?
と問われたら、今の僕らはどう思うでしょうか?見直すべきだと思います。
社会の空気に自分の考えが侵されることはあります。感染は仕方がないことです。それは人間の習性なのですから。でも、感染したと自覚できたその時には、僕らは自分の考えで、社会の空気でも、誰かの発言でもなく、また、狭量な事実からでもなく、広く視点を持って感染した事柄を見直さなくてはいけないんだと思います。

僕は、政府に不信感を抱いています。
「コロナウイルスの感染は、発症から10~12日前」というニュースを見れば30分に一回は出てくる事実がありながら、東京都での感染拡大が数字上で確認されてから安倍総理が「コロナに頑張って立ち向かおう」だとか、小池都知事が「外出自粛」を訴え始めました。感染者が出たら「お、やっぱり広まってるか」と言って外出自粛を要請するのは、犠牲者ありきの方針すぎやしないかと思います。
誰がどう考えたって遅すぎな上に危険な対策に頭が痛いのです。

それも、東京オリンピックが中止になった瞬間にそういった対策を始めたものだから、東京オリンピックのために、海外に体裁を保つためにコロナ対策を打たずにいたんじゃないかと、勘ぐってしまいます。
「外出自粛」の案なんて3週間前からツイッターやらで著名人が発言していました。
僕たち大衆よりも頭の良いはずの政府のお役職さんたちの中で、3週間前に「外出自粛」案が誰にも浮かばないはずがありません。
オリンピックは、日本の犠牲者を出してまで守らなきゃいけないイベントだったのか、と思ってしまいます。

さらには、政府にこういった表立てにしない思想がありながら、政府が主としてコロナ対策をした瞬間に日本社会に「外出自粛」の感染が起こったかもと思うと、悔しいのです。あっさりと、政府の思惑通りに動かされている気がしてなりません。
政府に言われないと何一つ実行に移せないのか僕たちは、大事な人を失うかも知れない危険にすら気づけないのか僕たちは、と悲しくなります。
もっと世界を見る力が欲しいです。

それと、今、外出自粛を訴えている大衆は、それほどの度胸と指導力とみんなの身を案じる真心と頭脳を持ち合わせていながら、どうしてもっと早く事の重大さに気づけなかったのか、とも思ってしまいます。
社会の空気と違うこと、「思想の感染者」たちと違うことを言うのには勇気が要ります。
でも、今声を大にしている君なら、度胸と頭脳を持ち合わせた君なら、社会の思想が「外出自粛」に感染して、「外出自粛」発言のリスクがなくなってからじゃなくても、みんなを扇動することができたんじゃないか。と思ってしまいます。少なくとも、考えつくことぐらいできたんじゃないか。


でも、こんなことを書きつつ、全部他人任せの僕も気に食わない奴らの一員です。もっと勇気があって、外出自粛発言のリスクを背負ってコロナウイルスの脅威に立ち向かえる賢明さがあったらなと思います。
だから僕は今回、遅すぎたけれど自分が思っていることをさらけ出すことにしたのです。
他人を正しく「感染させる」のは難しくて、危険で、勇気がいることです。
でも、ため込んでいることの方がもっといやらしくて、苦しいことだと、気づくことができました。今回の学びです。

僕の文章が誰かに正しく影響してくれたら、それ以上のことはありません。
ここまで読んでくれた方、もしいたのなら、本当にありがとう。

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アガリスクエンターテイメントの「我が家の最終的解決」
昨日までYoutubeで期間限定公開されていました。見ました。

一回生で見たことがありました。今回も笑いました。面白かったです。
シチュエーションコメディが絶品の劇団です。ばいばい。



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