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Baby,it's time-吉野さん-【小説】

人一人入りそうなガラスケースが、いくつもいくつも規則的に林立している暗い館内で、タツロウはそのガラスケースに納められた一つ一つの仏像をとても時間をかけて眺めていた。ガラスケースからの白い光がタツロウの顔を照らし、透け具合が幻想的だった。展示物がタツロウなのか仏像なのかわからなくなるほどだ。
法隆寺宝物庫館は空いていた。
みはしのあんみつを食べた後、急に『博物館に行きたい』とタツロウが言ったので寄ることにしたのだった。
タツロウがいつまでも眺めているので、展示室の一角にあった三人がけのソファーに腰掛けた。
ガラスケースからの光以外照明のない真っ暗な展示室には私たち二人(他人から見たら一人)しかいなくなってしまった。
ガラスの林に見え隠れするタツロウを眺めていたら、一体自分がいまいくつでどうしてここにいて、タツロウとはどういう関係で、という基本的な自分の後ろ盾となっている情報がだんだん遠くなっていく気がした。
否、実は眠いだけだ。
どのくらい時間が経ったのかわからなかったし、気にもしていなかったので、その眠気とずいぶん仲良くすることが出来た。
そのせいでその人が一つ席を空けた隣に座ったことに全く気付かなかった。
「彼と仲良くしてどのくらい?」
あまりにも唐突だったので、それが自分に投げ掛けられた言葉だと気付くのに少し時間がかかった。
「…え」
「彼と、仲良くしてどのくらい?」
今度はその人は、明らかに顎でタツロウを示してから私の方を向いて言った。
「…どちら様でしょうか?」
びっくりしているのを悟られたくなくて、そう答えた。よく見ると、ちょっと見た目のいい四十代後半くらいのおじさんだった。白っぽいポロシャツに黒っぽいジャケットを着ていた。
「君はあれなの?昔からああいうのと仲良くしてる質なの?」
「あの、見えるんですか?」
「見えるとか見えないじゃないよ。いるじゃないの」
「はぁ」
「で、昔からなの?」
「えっと、最近です。あの、そちらは?昔からですか?」
「昔ってどのくらいのことをいうの?」
「え?」
そちらがきいてきたのに、と思ったが、とりあえず、具体的にきいてみることにした。
「例えば、10代とか、です」
「うーん。難しいことをきくね、君は」
「はぁ。難しいんですか?」
「なんていうか、あれだね。大体、こんな風に歩き回れるようになったのは60年くらい前かな。その頃にはもう見えていたと思う。話しも出来たし。あとは記憶が曖昧だな」
もしかしたらちょっとおかしい人なのかも、と思ったが、そのおかしい人にも見えているタツロウが見える私もおかしいのか、と思って、少し目の前が暗くなったが、とにかく六十を越えてるようには見えない目の前のこの人と話を続けるしかないと思い直した。
「お若いですね。とても還暦を迎えてらっしゃるようには…」
「いや、もっと上だよ。多分君の想像をはるかに上回っているはずだ」
彼は、吉野、と名乗った。私が名乗ると、いい名だと笑った。
「春原なんて、今にぴったりの名前だ」
今だけですよ、とちょっと思ったが、折角褒めてもらえたので、言わなかった。
「それで、彼とは?出会ってどのくらい?」
最初の質問に戻り、さっきより少しだけ真剣にそうきかれた。
「…どうしてですか?」
「ユウリちゃん!」
展示室に響いた声のあまりの大きさに驚いて、その声が他の人には聞こえないことを忘れて思わず、シーッと言ってしまった。私の制止も室内に響いた。展示室入口にいた大学生くらいのカップルが室内に入るのを躊躇して私を凝視した。
目が合ってしまったので、私は彼等に頭を下げてから、目の前に立つタツロウを睨んだ。だが、彼は私を見ていなかった。
「ほっといてください」
タツロウの、普段聞かない怒気を含んだ声と視線の先には、吉野さんがいた。吉野さんは黙って、タツロウを見上げた。
「ほっといてください」
タツロウは噛んで含めるように、ゆっくりと繰り返した。
「そんなに怒るなよ」
吉野さんは降参、というように両手を上げた。
「ユーリちゃん、行こう」
手を強く引っ張られて、立ち上がった。そのままタツロウは足早に歩き始めたので、前につんのめるようになりながらついて行った。頭の端で、「ああ、あの大学生カップルは今のこの状態を見てどう思っていることだろうか」と思った。目の端では吉野さんを捉えていて、なんだかその表情がにやついてるように見えてふいに恥ずかしくなった。タツロウは振り返りもせずにどんどん歩いていって、私は仕方なくその少しだけ透ける背中を見ながら、捕まれた手の力の強さをこんなに感じるのに、この人はこの世の人じゃないんだ、と思った。
建物の外にいきなり出たら、日差しがとても眩しくて、宝物庫館の前に広がる噴水と人工池が乱反射してきらきらしていた。
タツロウは日の光の下でいっそう薄くなり、しばらくしてから歩を緩めた。
「ユーリちゃん」
タツロウは私の方を見ずに言った。
「なんで俺が一緒にいるのか知りたい?」
「知りたくない」
タツロウは振り向いた。
「…あのさ」
「知りたくない」
「ユーリちゃ…」
「知りたくない」
私は静かにタツロウの手を離して後ろを向き、だんだん足早になりながらその場を去り、最後には駆け出していた。
そして、結局また宝物庫館の前に戻ってきてしまった。大した距離じゃないのに、息切れしていて情けなくなった。
「なにしてんの」
後ろの方から呼び掛けられて振り向くと、どうしてそんなところに、と思うような場所に一本だけある桜の下から、吉野さんが手招きしていた。
いつからそこにあるのかと思うような木製のベンチに腰掛けている。
「まぁ座んなさいよ」
よく見ると、白だと思っていたポロシャツは薄いピンクで、ジャケットは濃い焦茶だった。私は吉野さんの横に腰掛けた。
「桜きれいでしょ」
「そうですね」
「でもみんなあっち行っちゃうんだよね、桜並木の方。静かに過ごせていいけど、でもなんか寂しいじゃない」
「吉野さんもあっち行ったらいいじゃないですか?」
「いや、人混みは苦手だよ」
「そうですか」
「うん」
吉野さんは両手を背もたれに掛けて広げ、上を見上げた。
「こんなに晴れてるとさ~。どんな不思議なことが起きても不思議じゃないんじゃないかって思っちゃうよね~」
「そうですかね」
「そうだよ、平日の真昼間に幽霊と付き合ってる女の子とかね」
「今日は会社の創立記念日とかでたまたま休みなだけですよ」
「彼はたぶん君のことを好きだよ、でも、たぶん君は彼のことをまだ好きじゃない」
吉野さんはまたも突然に話を始めた。
「そんな中学生みたいな恋の話をしたかったんですか?吉野さん」
「いや、もっと別の次元の話だ。君があってる彼は確かに君を好きだが、彼があってる君は彼をまだ好きじゃないどころか出会ってすらいないんだ、実はね」
「何ですかそれ。謎掛け?」
「桜はね、散り際がとても美しいだろ」
「はぁ」
「散っているのを見ると時間を忘れるだろ?」
吉野さんに促されて、上を見上げた。
舞い散る桜が青い空に映えてとても綺麗だ。
「おっさんと浮気すんなよ」
声がしたと思ったら覗きこむように私の頭側からタツロウが顔を出した。
「おっさんも。たぶらかさないでよ」
「随分な言い方だねぇ」
「俺は怒ってんの」
タツロウの喉仏を下から見上げながら、思い立って両手でタツロウの顔をがっちりと掴み、そのまま自分の顔の前まで持ってきて上下逆さまのまま、キスをした。
キョトンとしたタツロウを見上げたまま、私は言った。
「吉野さん、やっぱりいまはどうでもいいみたいです」
「あーあー、若い人ってどうしようもないね~」
「もうそんな若くもないんですけど」
「ますますどうしようもないね!」
吉野さんはそう言って笑ってから、
「君はたぶんそこがいいんだろうねぇ」
と言った。
私は立ち上がって、吉野さんに向かって丁寧にお辞儀をした。
「じゃあ、楽しむことだね、いまを」
頭を下げた私に吉野さんはそう言った。
私は顔を上げた。
吉野さんの姿はなかった。
タツロウを見た。
タツロウは肩を竦めて、木を指差した。
年月を経て読みにくくなった黒地に白文字の小さな札が幹に括り付けられており、こう書いてあった。

『ソメイヨシノ』

「あ、安直~…」
思わず呟いた私にタツロウは
「なんて言われたの?」
と少し不安そうにきいてきた。
「内緒」
とだけ言って、幹をちょっと撫でてから、タツロウの手を取った。

しろくまʕ ・ω・ )はなまめとわし(*´ω`*)ヨシコンヌがお伝えしたい「かわいい」「おいしい」「たのしい」「愛しい」「すごい」ものについて、書いています。読んでくださってありがとうございます!