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四十路入口にて、ガールズロックに泣く

ぼっち・ざ・ろっく!!を観ている。

全然練習しなかったので、もうダメだと思って、せっかく買ったエレキギターを売った過去がある。20代後半だった。
一曲もまともに弾けないまま過ぎた期間は、実はギターが部屋にあるというだけで仕事の辛さを乗り切れた日々だったのだと今更気付いた。そして、その日々のそばにあった歌は、アジカンだったということを思い出した。

新入社員研修の毎日は、もう辛すぎて、アジカンをがんがんイヤホンで聴きながらハウルの動く城のねじ巻き式模型を机の上で走らせるという、こじらせ爆発な昼休みを送っていた。それなのに友達になってくれた同僚がいたわけだから、なんて心広く受け入れ度量が海レベルな人たちだったのだろうと今は思う。みな、若くかわいくとてもきらきらしく生きていた。そんな中で、どう見てもうっかり入社しちゃった組のワシ。

やさぐれた心にアジカンの歌は本当に沁みた。アジカンがいるから、毎日通えたのだ。入社前に『コミュ力激弱な自分を鍛え上げる為に不断の努力をしなくては』と、覚悟を持ってここにきたと思っていたのに、全然覚悟なんかしてなかったんだ、と頭を殴られた感じがした。『いつか辞めてやる』という言葉とアジカンの歌を礎に歩いているうちに、険しい道をだんだん歩けるようになり、サバイバル力があがり、なんだかんだ四十路入口が見えてきた。

ぼっち・ざ・ろっく!!を観ている。

私がギターを買った時に観ていたアニメは、けいおん!だった。レスポールを抱えた女子高生が飛び跳ね歌い、音楽を、学生生活を、自然体でエンジョイしていた。それを観るのはしあわせだった。学生時代をそこまで謳歌できなかった自分が救われたような気持ちになったのだ。

けいおん! を観ていたとき、よく聴いていたのはチャットモンチーだった。
【女子たちに明日はない】が大好きだった。
ライブも行っていたし、ずっと続くと思っていた。
シンガポールに出張した夜にアジカンの新譜が出た。そこにチャットモンチーのヴォーカルの名前が出ていた時、嬉しくて部屋でその歌を何回もかけて覚えて、歌っていた。

いつの間にか彼女たちはそれぞれの道へ進んでいった。

同僚も、同級生も、みな、それぞれの道へ進んでいった。

明日に踏み出す女子の背中をいつも見ているような気がしていた。

ぼっち・ざ・ろっく!!を観ている。

ガールズロックを今でも時々聴いている。
The peggies、羊文学、Chilli Beans.、、、全部をしっかり聴けているわけじゃないと思うけど、彼女たちの音楽を聴くという流れの源にチャットモンチーがいる、私の中には。
その流れを持てていることを嬉しく思っている。

ぼっち・ざ・ろっく!!の最終回を観ている。

『転がる岩、君に朝が降る』を1人、部屋で練習していたことを思い出した。難しすぎて全然弾けなかった。イントロを聴く度に胸がギュッとなる。この、胸の『ギュッ』をここまで持ってくるなんて思っていなかった。

ここは、四十路入り口である。

赤いギターを抱えて、押入れから転がり出したジャージ姿の女子高生は、好きを支えに次へ行く。

このアニメひとつで自分の歩いてきた道を、急に振り返らされるなんて思っていなかった。

まだ、ここにいるのか、と思うし、
もうこんなに来たのか、とも思う。

ここは、四十路入り口である。

アジカンを歌う女子の声に引っ張られ、ここまでの道中で鳴り響いていたガールズロックの彩りに、涙が出てきた。

まだ涙の理由が判然としないが、
入り口に足を踏み入れなければならなかった。

令和5年某月某日。

しろくまʕ ・ω・ )はなまめとわし(*´ω`*)ヨシコンヌがお伝えしたい「かわいい」「おいしい」「たのしい」「愛しい」「すごい」ものについて、書いています。読んでくださってありがとうございます!