【禍話リライト】真っ暗な洞窟の夢

 とある地区の子供だけが同じ夢を見ると、騒ぎになったことがある。
 小学校の時分、いつの事かも混然としてはっきりしない頃のことだ。
 しかし、絶対に何かしらの記憶が混ざっているのは間違いない。

「だって、そうでもないとこんな事起きちゃいけないでしょ」

 そんな、訳の分からない、気持ちの悪い話だ。



 Aさんは、もうじき学校で山登りの遠足があるという頃、夢を見た。
 自分が、真っ暗闇の中を進んでいる夢だ。
 自分の手も見えないほどの完全な真っ暗闇。そんな暗い場所を体験した事などあるはずもなく、Aさんはこれは夢だろうか、と思った。
 左右に手を伸ばすと、指先がごつごつした岩肌のようなものに触れる──洞窟を歩いているのだろうか?──Aさんは仕方なしに、左右の手の感触を頼りに前に進むことにした。
 光源もなく、全く目の慣れない中進んでいくと、やがて何かが左肩にぽんぽん当たることに気がつく。初めこそ、何か草が天井から垂れ下がっているのか、はたまた柔らかい岩や土肌でも突き出しているのだろうか、とAさんは考えた。
 しかし、じっと闇を凝視してみると、Aさんはそれが"ぶら下がっている足"であることに気がついた。えっ、と戸惑いながら更にその上へと目を凝らすと、ぶら下がっている女が、じっとAさんのことを見ていた。

 そこで、Aさんは目を覚ました。
 外はまだ暗く、起きるような時間ではない。
 恐怖で全身がじっとりと汗に濡れている。

(ホラー映画や怖い番組を観たわけでもないのに、なぜこんな夢を見たんだか)

 気味悪く思いつつも、Aさんは着替えて洗面台で顔を洗うと、再び布団に潜った。

 次に見た夢は、友達と件の遠足に出かけている夢だった。
 楽しみにしていた遠足だったが、友達が途中から、「こっちの方が近道だ」などと言って、他の生徒たちが進んでいるルートからどんどん外れていく。
 普段ならAさんは、他の生徒の列から離れたりするようなことはしなかったのだが、夢ということもあり、Aさんは友達について行った。

「ここだ!ここ入ったら近道なんだよ」

 そこは、どう見ても洞窟の入り口だった。
 あれ?と思いつつも友達に着いて一歩踏み込めば、その瞬間に分かった。
(さっきの洞窟だ!!)
 ダメだダメだ、と思うのに、友達は「こっちだこっちだ!」と進んでいく。そしてAさんは、すぐに左手を引かれていることに気がついた。
 仕方なく着いていくが、道はやはり灯りひとつない暗闇のままだ。
「おい大丈夫なのか!真っ暗だぞ!」
「大丈夫大丈夫!おれ道分かってるから!」
 そして進むうちに、やはり左肩に何かが当たる感触がしてくるのである。
(もう嫌だ!絶対これさっきのだ!)
 しかしこれほど夢だと分かっているのに、夢は覚めないままだ。
 嫌だ嫌だと頭の中で必死に拒絶していると、唐突に友達が立ち止まり、Aさんの手を強く握ってきた。
「何だよ急に!」
「お前さぁ、気にしすぎるからいけないんだよ。気にしすぎるから、構ってくれると思うんだよ」
「誰が!?」
「いや、そこの女がだよ」

 うわぁ!という悲鳴と共に、Aさんは再び覚醒した。
(最悪だ……)
 しかし今度は、両肩が妙に痛い。
 先ほどと同じように洗面台で自分を見てみると、二本指ほどの両肩に掴まれたような痕がある。
(最悪だ……!!)
 仕方なく父親が使っている軟膏を塗り、Aさんは朝まであと僅かの時間三度寝をすることにした。

 布団に入れば、次の瞬間意識は再びあの洞窟の中で、Aさんは友達に手を引かれて歩いていた。
 えっ、と戸惑っていると、友達はやれやれとばかりに言う。
「しょうがねぇなぁ、そんなに見たいなら見せてやるよ」
 そして友達は、両肩に残っていた痕の位置そのままにAさんの肩をぎゅっと掴むと、後ろに振り返らせようとした。
「うわぁ!!やめて!!」

 夢の時間で言えばほんの数秒のことだった。
 しかし次の瞬間目を覚ましたAさんは、全身にびっしょりと汗をかいていた。
 時間も二、三時間が経ち、朝になっている。二階の自室から一階の居間へ降りて行けば、既に母親も父親も揃っていた。

「あんたさぁ、寝言?大きかったよ」
「聞こえてたぞ、お前、寝言とか言わないのになぁ」
「寝言?どんな?」
「いや、すっごい誰かと喧嘩してて、あんたが誰かの非を責めてるみたいな……」
「けどお前、そんな言い方するのかな?『下調べを入念にしなかったから助からないんだ』とか、『どこがどう繋がってるか分からないのに入るからいけないんだ』みたいな?」

 何かのストレス?と尋ねる両親にも、Aさんははぐらかすことしかできなかった。

 夢であんな目に遭い、その友達と会うのにも気まずさを感じつつ学校へ行くと、彼もまた、寝不足のように若干元気がなかった。
「どうしたよ?」
「いや、笑われるかもしんないけどさ、おれお前と洞窟に入る夢見たんだよね」
 曰く、具体的な内容は覚えていないが、何か怖いことが起き、何度寝直しても同じような夢を見るのだと言う。
 彼の話に恐怖を覚えつつ曖昧に相槌を打っていると、もう一人別の女子生徒が、疲れたように教室に入ってきた。どうかしたのかと尋ねると、やつれたような彼女はこう答えた。
「昨日勉強しすぎたのかなぁ……何かね、真っ暗な洞窟の中を手探りで歩いてたら、すごい怖い目にあって……何かは覚えてないんだけど……」
 その後、全員とは言わないが、クラスの何人かが同様の夢を見ていたことが分かった。

 真っ暗な洞窟の中を歩いていると、何かとても怖いことが起こる。

 しかしその「何か」を覚えていたのは、Aさんだけだった。
 自分一人だけが、女だと分かっているのだ。

「遠足とは関係ないしなぁ」「別に最近テレビで洞窟の映画とかやってないもんね?」

 結局、Aさんは一人思い詰めたせいなのか、途中で具合が悪くなってしまった。
 思えば、寝不足なども影響していたのかもしれない。担任から「お前、顔赤いぞ?保健室行くか?」と促され、大丈夫ですと答えた次にはぐらつく始末だった。
 仕方なく、女子生徒に付き添われてAさんは保健室に向かった。

「ちゃんと寝ときなよ?」
「大丈夫、大丈夫だって」

 その時、保健室の先生は不在だった。
 巡回にでも行っていたらしい。
 Aさんは付き添いの女子に渡された名簿に名前を書くと、ちゃんと休むように釘を刺す彼女に生返事をして保健室のベットに横たわった。

 横になったAさんは、ふと、またここで寝てあの夢を見たら嫌だな、と思った。疲れ切っているものの、またあんなものを見るのはごめんだ。
 そう思いながら、悶々と壁にかかった時計を眺め、十五分ほど経った頃のことだ。

「なぁんで君だけ覚えてるんだろうね」

 急に、あの付き添いの女子の声がした。
 てっきり出て行ったものと思っていたが、どうやらまだ保健室にいたらしい。返事をするのも煩わしく、もう寝たふりをしておこう、と思ったところで、Aさんは気づいた。

 ──うちの保健委員、男じゃなかったっけ?
 ──というか、この着いてきた女の子って、
   誰?

 保健室に付き添われる間も、恥ずかしさからAさんは彼女の顔をろくに見ていなかった。他クラスの子かとも思ったが、どうにも心当たりがない。
 Aさんは段々、気味が悪くなってきた。

「なんで、みんなは覚えてないのに、君は覚えてるんだろうね」
「いや、だから────」

(あれ?俺言ってないよな?)
 洞窟で見たものの話は、Aさんは誰にも、友達にも話していない。
 女子の声は、相変わらずAさんに尋ねかける。

「なんで君だけ覚えてるのかなぁ」
「みんなは覚えてないのにねぇ」

 声がだんだん近づいてくる。
 この時点ではAさんは、怖いというよりも、「この女子は誰?」という疑問の方が強かった。

「ねぇ」

 ベッドの仕切りのカーテンが揺れた。
 カーテンの上の隙間から、頭頂部が見える。

(上の隙間?)(あんな位置に頭?)(えらく高い)(同じ背丈の女子だぞ)(椅子に乗ってる?)(もしかして背が高いんじゃなくて)

 ──首を吊ってる?

 そう思いついてしまった瞬間、Aさんは恐怖に駆られてぎゅっと目を瞑った。
 女子は、どうやらこれ以上は近づいてこなかった。代わりに、何かをぼそぼそ喋るような声が聞こえてくる。

『……○○山の××洞に行ったみたいなんですよ……』

 まるで母親を演じるような別人の声がした。
「○○山」には聞き覚えがあった。今度、遠足に行く予定の山だ。

『ダメだなぁ、やっぱり小さな子とか入らないようにしないといけないなぁ』

 さらに、別の男の保護者ぶったような声もする。
 保健室には、大人はおろか、保健の先生だって居ない。居るのは付き添いの女子だけのはずだ。
 しかしその女子の声さえ、他の声に混じって何やら議論を始めている。
 内容としては、「いかに小さい子が洞窟に入るのが危ないか、入らないようにすべきか」ということらしかった。
 Aさんは状況が分からず困惑していたが、それでも気づいた。

 声のする位置が、だんだん高くなっている。

 そんな馬鹿な、と思いつつも、もしも目を開けてカーテン越しに人影が見えてしまったら。
 Aさんは絶対に見てたまるかと、意地でも目を固く瞑った。
 三人が相談するような声は、ずっと聞こえている。どうすれば危なくないか、どうすれば安全に遠足に行けるかという議論を延々としている。
 Aさんの恐怖が限界に達そうかという時、不意にガラガラと保健室の引き戸が開く音がした。

「あれ?先生居ねーのか?」

 声は、同級生のものだった。 

「大丈夫お前?一時間経ったら帰ってくるって言ってたじゃん」

 彼の声に時計を見やると、時間はとっくに一時間以上経っている。

「先生が見てこいって言うからさー。こんだけ汗かいてるし、熱引いてんじゃない?」

 それから諸々の手続きをして、気づけば昼休みを超えるような時間帯だった。
 しかしAさんの体感時間では、絶対にそれほど経っているはずはなかったのだという。

「そういえば、全然保健の先生居なかったな」
「それがさー、今日あちこちで生徒が倒れたとかで、家に送ってとかめっちゃ大変なんだって」
「えっ」
「みんな寝てないとからしくて……それでてんやわんやでお前のことも忘れちゃって……ごめんな?」
「いや……いいんだけど……」

 聞けば、自分のクラスも何人か早退者が出ているらしい。
 午後の授業が始まる頃、クラスの生徒の一人が担任に尋ねた。

「先生、今度遠足で行く山には、洞窟とか無いよね?」
「無い無い、ちゃんと安全は確保されてるよ」

 しかし始まった五限の最中、何度か担任は訝しがるように動きを止めることにAさんは気づいた。それこそ気にしていないと分からないような仕草だったが、Aさんにはまるで何かを思い出そうとしているかのように見えた。

(まさか、下見に行った時本当は洞窟があったとか……)

 どことなく嫌な予感に駆られていると、後ろがAさんの肩を繰り返し小突いてくる。
 何だようるさいな、と振り返るも、後ろの席の生徒は振り返ったAさんにむしろ驚いているようだった。小声で、「急に振り返って何だよ」と尋ねられる。
 そこで気づいた。
(あ、今突かれてたの左肩だ)
 しかし、もしそんなちょっかい出してきてるなら先生にも見えてるだろうし、と思いAさんは黒板の方を向いた。

 授業は止まっていて、担任がAさんの方を凝視していた。

「な、何ですか?」
「あ、いや……なんでもない……」

 その後授業は恙なく終わったものの、ひたすら気味の悪さだけが残った。

 そうして授業から帰りの会まで終わってしまうと、元々体調不良者が出ていたのもあり、生徒たちは早々に帰宅して行った。
 Aさんもその列に加わる予定だったのだが、元々の係の作業もあり一人だけ遅くなった。
 帰り際、Aさんが職員室を出ると、「ああそうだ、ちょっと待って」と担任に呼び止められた。自分は真っ先に体調が悪くなった生徒だし、もしかしたら何か言われるのだろうかと思っていたのだが、そうではなかった。

「あの山にな、洞窟はないけど、死んだ人間は何人か知ってるんだよ」

 小学生に何を言うんだ、と思った。

「…………まぁ、昔からある山なら、亡くなってしまった人もいるんでしょうね」

「普通じゃない死に方だったんだよ、だから今話してるんだろ」

 先生は至極真顔で、そう言った。

「あの、はい、もう帰りますんで!」
 Aさんは踵を返して昇降口へと向かった。靴を履き替える手間すら惜しい。
 校舎を出て、ふと振り返り先ほど担任と会話したあたりの廊下を見た。そこにはまだ担任が居て、Aさんに気づくとガラガラと窓を開ける。

「死んだのは最初は女が死んだんだ!!!!」

 紛れもなく、担任はAさんに向けて叫んだ。


 這々の体で家に帰ったところで、残念ながらAさんは「鍵っ子」であった。
 もう何もかもが怖い。
 Aさんは、家の中を片端から明かりを付けて回った。一階の部屋も全部、さらには奥の仏間と、仏壇の明かりさえも付けた。
 これで一安心、と振り返ったところで、Aさんは廊下の電気が消えていることに気がついた。
 電気のスイッチなんてオンかオフしかない。Aさんは幼いながら、スイッチの押し具合が中途半端だったのだろうかと理屈付け、居間に戻ろうとした時だった。

 その居間から、声がする。
 保健室と同じ、話し合う声だった。

「やっぱり、子供が洞窟に入っちゃうのは危ないからさー」「どうしたらいいかねぇ」「私が思うにさー、」

 何となく声の位置からして、居間のソファなりに座って話しているのだろうと思った。
 そして時折外の廊下に──Aさんに向けて、「子供がいると危ないもんなー」などと声が聞こえるのだ。
 もう玄関から逃げるしかない。
 覚悟を決めてAさんが駆け出すと、廊下に置かれていた固定電話が唐突に鳴った。
 その音に驚くも、いっそいつも通りの音に、Aさんはとりあえず電話に出た。

「も、もしもし?」
「あっ、Aくん?緊急連絡なんだけどね、同じ内容を、連絡網で決まってる次の○○君に伝えてもらっていい?」

 相手はどうやら同じクラスの生徒の保護者のようだった。
 緊急連絡は以前経験があったことだし、であれば前の家も自分が鍵っ子だとは知ってるはずだ。
 そう思いAさんは、いつも通り「あ、はい、分かりました」とメモを取る準備をした。

「山に入った人は五人とも死んだんだけど、見つかったのは女一人だったんですよ」

「へ?」
 メモを書く手が止まった。

「山に入った五人はみんな死んじゃったんですけど、見つかったのは女一人だけだったんですよ」

 そこで、Aさんは気づいた。
 ──これ、いつも掛けてくる人じゃない
 ──担任の先生の声だ
 連絡網なら、決まった順番通りに連絡が来て、担任からAさんに直接の連絡が行くことは無い。

「え、は?なにを」 

「山に入ったのは五人。だから五人、ちゃんと覚えておいて。みんな死んだけど、見つかったのは女一人だからァ!!!」

 後半ヒステリック気味になった言葉を最後まで聞くことなく、Aさんは電話を切った。
 電話機を見れば、かかってきている番号は紛れもなく学校からだった。
(どうしよう、先生完全におかしくなってる……!)
 子供であったAさんは、この頃には居間のことなどすっかり忘れていた。

「ね?」

 そして、その居間からAさんに向けて声がする。
 振り返ると、居間から男の顔だけが覗いていた。
 それもひどく高い位置で、どのように首を曲げたのかは見当もつかない。
 男は右目を覗かせたまま、さらにAさんに言った。やけにフランクな、親しげな口調だった。

「一人でお留守番できるような賢い子なんだから、覚えたよね今の内容?」

「あ、はい」

「よし、じゃあ、おじさんに言ってごらんなさい。今聞いた電話の内容を。さぁ、言ってごらん。さぁ」

 これ以降、Aさんの意識はなかった。
 気がついたら、Aさんは病院で点滴に繋がれており、服はなぜだか自分の涎でべちゃべちゃだった。
 話を聞けば、親が帰ってくるとAさんは泡を吹いて家中を走り回り、「山で死んだのは五人だけど」などと喚いていたのだという。
 何かの発作かと親は慌てて救急車を呼んだが、Aさんは救急搬送される時もずっと騒いでおり、鎮静剤等の処置でようやく落ち着いたらしい。
 ようやく我に帰って良かったと親は安心したが、その後体調が悪いままで、Aさんは結局例の山への遠足には行かなかった。
 そしてAさんが学校生活に復帰してからも、担任は以前と変わらぬ態度でAさんに接したそうだ。



「確かに、遠足で行く予定だった山には洞窟は無いんです」

「ただ、その遠足でも何かあったらしいんですよね……」

(出典:シン・禍話 第四十九夜

洞窟の話について

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 本記事は、ツイキャス「禍話」にて放送された、著作権フリーの怖い話を書き起こしたものです。
 筆者は配信者様とは無関係のファンになります。

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