【禍話リライト】お嬢様の窓

 関東某所にある、病院というか、療養所のような廃墟の話だ。

 そもそもこの廃墟、成り立ちからして不自然なものであった。
 地域の外から来た人々が、山の麓に建てた四、五階の建物であり、そこにナース服や白衣を着た人が出入りしている。療養所といった風体ではあるものの、地元民はそこを利用することはなく、病院のように看板が出ることもなかった。
 そんな場所であるから地元民は、ここはきっとどこかの金持ちか、何か重病な人を特別に収容するために建てた施設なのだろうと噂をしていた。塀は高く有刺鉄線に囲われていたことも、その噂を加速させていた。
 地域への挨拶すらなく、住民たちはとりあえずトラブルさえなければいい、と特に関わり合いになることはなかったのだという。

 施設には、少しおかしなところがあった。
 建物各階の角には窓がついていたのだが、一階から四階までは嵌め殺しの、外から見ても絶対に開かないような窓である一方、五階の窓のみが開き戸なのである。
 しかもその五階の窓には柵や手摺りなどの安全設備は無い。普通、下の階ほどそういったものは無く、高くなるほど必要になるのは当然のことだ。
 塀に隠れて見えないものの、落ちてしまえばクッションになるものは無く、死んでしまうような高さだった。
 そんな違和感があるものだから、地元民はそこを通るたび、五階の窓のことをどことなく気にしていたのだった。

 そしていつからか、「夜になると五階の窓を開けている人がいる」と話題になるようになった。
 空気の入れ替えかと思えば、おそらくは髪の長い女性が、窓を開けているのだという。
 やがてこの窓は、誰が言い始めたのか「お嬢様の窓」と呼ばれるようになった。
 きっと心を病んだ令嬢があの施設には居て、夜な夜な窓を開けて外を見ているのだろうと、そんな噂が流れた。

「お嬢様の窓」が地域で周知され、あああそこね、と認識されるようになったぐらいの頃だ。
 突然とある夜、その施設に救急車が来た。
 救急隊員は施設の人と何やら話した後、救急車はサイレンも鳴らさずに去っていった。
 救急車に続いて、パトカーも来た。
 赤色灯だけを点けてやって来た警察官は、やはり施設側と二時間ほどやり取りした後に帰っていった。
 つまりは、「何も不審なことはなかったですね」という話である。

 翌日、当然ながら施設の方からは何も発表はなく、さらに二、三日後には施設に業者が入り、例の五階の窓に厳重な格子を設置していった。
 そしてそれ以降、「お嬢様の窓」に立つ女性の姿は見られなくなったのだという。
 
 住民たちは、きっとあの女性が落ちて亡くなったかしたのだろうと噂したが、その真偽を確かめる術は無かった。
 救急車の来たあの夜から一ヶ月もしないうちに、施設の人々は皆引っ越してしまったのだ。
 管理中、といった看板のみが立ち、警備員も防犯システムも入れられることなく、それっきりである。

 それ以降施設は廃墟と化し、門も開いているからとヤンキーの溜まり場として格好のスポットとなったのだが、なぜか中に入ってもすぐに出てきてしまうのだという。
 訳を聞いても、「空気がやべぇから」「温度が違う」などと、はっきりとした理由は分からない。地元で幅を利かせているヤンキーさえそのように言って施設の廃墟を敬遠するのだから、なおさら地元民はそこに近づこうとしなかった。

 そんな地域に、高校生のAさんは引っ越してきた。
 話を聞いたAさんは、元来そういった噂や所謂心霊話を一蹴するタイプであった。「お嬢様の窓」にまつわる一連のストーリーは、内部の人間からの話ではなく地元民が外から見て想像したものだ。

「所詮噂だろ、そんなの」

 Aさんはそう笑って、友人たちを引き連れ廃墟での肝試しを敢行した。
 ただ、車を出した友人の兄だけは、「お前たちよく行くね、若気の至り?」などと言って、決して着いてこようとはしなかった。

 施設の廃墟は門は開いているものの、建物自体には鍵がかかっており、入れるのは敷地の中だけだった。
 下からは五階の窓までを確認することができたが、やはり不自然なものは不自然であった。

「やっぱあれ、おかしいよね」
「わざわざ開くように作っておいてさ、ザ・監禁みたいな柵つけてさ……」
「やっぱ人が落ちたんかな……」

 Aさん達は落書きのためにスプレーを持って来ていたものの、建物の雰囲気に気圧されて早々に退散することにした。

 帰り際、Aさん的には物足りなかったそうだ。肝試しに来たからには何か声が聞こえたなりすればよかったのに、と思いつつ、さりげなく懐中電灯を五階の窓に向けた。

 一瞬、人影のようなものが見えたそうだ。

 Aさんはそれにゾクッとして、足早にそこを立ち去った。
 何か窓に人影が見えたわ、と他の面子に話せば、やっぱりあそこはヤバかったんだ、などとちょっとした盛り上がりを見せた。


 Aさんはマンションの一階に住んでいた。
 帰宅はそれなりに遅い時間だったが、両親はあまり門限などを気にしない質だった。

「ちょっと肝試し行ってきた」「はぁ?変なことしてないでしょうね」「落書きはしてない」「ならよし」「不法侵入だぞ〜」

 そんな会話をしつつ、Aさんは床に着いた。


 普段夢を見ないというAさんは、その夜珍しく夢を見た。
 自分が、細長い廊下に立っている。
 着ている服は何か白い、パジャマのような服で、後に思い返せば入院着のような格好だったらしい。
 何故かそのフロアはひどく息苦しく、Aさんは換気でもできないかと辺りを見回した。すると、廊下の先、行き当たりになった場所に開きの窓が見えた。
 Aさんが寄って窓を開けると、新鮮な空気が室内に入ってくる。あぁ良かったと一息吐いて窓の外を見下ろすと、Aさんはふと、その景色に見覚えがあることに気づいた。
 この角度では見たことはないが、絶対に見たことのある景色だ。

 ──これ、さっき行ったとこ?
 ──さっき行った、建物の中から見てんのか?

 これは夢か、とAさんは思い始めた。
 そもそも建物の中には入っていないのだから、室内のことは知る由もない。
 窓は本来なら格子が付いているのだが、今Aさんの眼前にある開け放たれた窓には、何も遮るものはない。
 そしてAさんは、猛烈に背後から何者かの気配を感じた。夢だからか、普段Aさんが感じないほどその気配は主張していて、それが恐ろしい。
 ぺたぺたと、相手が近づいてくる裸足の足音が聞こえる。

「せっかく開くんだから、飛び降りちゃえばいいじゃん」
「せっかく開くんだから。ねぇ?」

 女の声だった。
 慄くAさんに構わず、近づいている。
 無論自殺する気など無くても、背後から近づく者から逃げようと思えば、目の前の開け放たれた窓から飛び降りる他ない。

 しかし、これは夢だ。
 ただの、怖い夢だ。

 夢ならば、Aさんが経験したことのないような行動を起こせば、それで脳が驚いて目が覚めるかもしれない。

「せっかくここが開くってことはさぁ、ここから出てけってことなんじゃない?」
 
 そんなことを言いながら、ぴたぴたぴたと足音は速まり、どんどん近づいてくる。

「やっぱそんだけ開くってことはそういうことだってお父さんも言ってたし」

 声は間もなくAさんの背後に来ようとしている。
 声にならない悲鳴を上げ、Aさんは窓から飛び降りようとした。

「おい、何してんだ」


 その声に、Aさんは急速に覚醒した。
 気づけば鍵のかかったドアノブをガチャガチャ捻っており、管理人らしき男が怪訝そうにAさんを見ていた。

 聞くところによれば、他の住民がガチャガチャ変な音がすると管理人に通報したらしい。そして確認しに来た管理人が、非常階段にある施錠された屋上に繋がるドアノブをガチャガチャと捻るAさんを発見したとのことだった。
 
「もし管理人さんが来てくれなかったら、俺飛び降りてたと思うんすよね」

 Aさんにはここに来るまでの記憶はない。
 そもそも、寝室を出て家から出た覚えすらない。
 さらにおかしいのは、両親が気づかなかったことだ。
 Aさんが出ていった深夜一時ころ、両親は居間でテレビを見ていた。息子が急に部屋から出て行こうとするならば、絶対に気づいていたはずだ。


「まー、あんなとこ行くもんじゃないっすね」
「何が怖いって、お父さんも言ってたっていうのが。やっぱり、お嬢様の窓だったんだなって」

 そしてAさんは、こんな時間でも管理人が常駐して、ちゃんと来てくれるうちのマンションは、本当にセキュリティがいいんですよ、と言って話を終えた。


出典:真・禍話/激闘編 第3夜

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 本記事は、ツイキャス「禍話」にて放送された、著作権フリーの怖い話を書き起こしたものです。
 筆者は配信者様とは無関係のファンになります。

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