おしえたくない。つくりたい。

いままで積み上げてきたキャリア、ちがったなっていう、喉元をすぎて、もはや熱さすら完全になくなったような、ずっとまえにうっすら気づいて飲み込んでたものが、あらためて、目の前に喉元から出てきて

すごい存在感を放っている。

まずは、はじめにこのキャリアを選んだところ自体、消去法みたいな感じで、決めてしまった。ので、まず1度目の「違う気がする」が訪れた時、さっさと転職して見よっておもってた。

でもそこで、「ここで変えたら、そのあともきっと、これも違う、これも違うって職をどんどん変えて、どこまでいってもそれぞれの分野のアマチュアとして世界を渡り歩いてしまうんじゃないか、一生アマチュアなんじゃないか」っていう懸念があって。

そこで実際は興味のあった仕事はいくつかあったものの、
変更がめんどくさいのと、そのめんどくささを乗り越えるほどに、やりたいと思えるレベルに達するものが他になくて、

(要はメンドクサに負け、妥協した。)

じゃあこの分野からは離れずにいよう、どうせならここでプロめざそう。

35のときプロとして仕事していよう。って決めて

大学院にも入った。

いまその分野にまだいて、思うことは、
おしえたくない。わたしは、つくりたい。

この気持ちは一度仕事を変えようと思い立った時のそのときそのままのあれで、約4年後にまた姿を表した「やっぱコレジャナイ感」はかなりの説得力を携えてわたしの目の前に、というか頭の中に居座ってる。

「そんなこといっても我慢して働くのが大人なの」と言って目をつむるべきという意見もわかるしそっちが正論に感じる、

わたしは基本的わがままだし。

でももう答えは4年前に出てたのになあ、って今思うように、この4年後にまた思いたくないなあ。

世間の正論より自分の直感じゃないかなあ。じぶんがこれからも生きてかないといけないなかなか長い道のりなわけだし。

もし、その四年後に、この分野に居座ったとして、「これでよかったんだ。仕事、かえなくてよかった。」って思えるかどうかって、

自分がこの仕事に身を捧げられたら、おそらく、思える状態には、達することができるとおもう。

つまり4年後はどの仕事にいるかじゃなくて、じぶんが仕事にいかに取り組むかできまるのだけど、

問題は、それを正解にするだけの努力をしたいこと。とにかく1ミリでも仕事したくない、余分なことしたくないとおもういま。

努力してでも五年後の正解にしたい、と思えない場所なんだったら、結局はそれは正解にしないほうがいい、無理にしようとしないほうがいいんじゃないか。ということで

いままで何もかもを「これでよかったんだ」と美化するために色々努力アンドポジティブしてきた。それが最近できていない自分を責めていたんだけど

努力我慢で一生いいのかなあ、と。

すでに変えられないものに関しては、
「これでよかったんだ」と我慢アンド努力アンドポジティブすべしだけれど、変えられる未来は、解釈を変えるつもりで残念な今を生きるんじゃなくて、いま変えてあげるのが未来の自分へのすべきことなんじゃないか、と思ったり。

自分が正解にしたいもの、正解にするためには努力したくなるっていうものを選択すべきなんじゃないか、なんて思っている。

3度目にこの「やっぱりこれじゃない」に出会うのはもうやだもんなあ。

したい努力をする人生がいいなあ。
なやみは続く。なやむより

前向きに考えよ。

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