女性医学生の選ぶ道

私の時代にはマイナーの科とされる眼科や皮膚科を選択する女性も男性もいなかった。勉学を積んできた学生が選ぶ科とはみなされていなかった。私の周囲の学生を見ても1学年上に1人だけ皮膚科に行った女性がいただけだった。変わりものとみなされた。今考えてみると彼女は時代の変化を見ていたのかも知れないし、さして医師であることに執着していなかったのかも知れない。皮膚科や眼科は他の疾患で付随した病気を扱うところと見なされていた。社会が裕福になって皆の考え方が変わってきた。貧しかった時代は目の病気とか皮膚の病気など言っていられなかった。眼科や皮膚科の病気は内科や外科の医師が診ていたのだろう。病気の認識と治療できる経済的余裕で治療の範囲が変わってきたのでないかと私はつくづく思う。

女性で医学部に入る人が多くなった事とも関係する。マスコミで問題となった女性が入試の段階で女性と言うだけで不利な扱いをされ入学数が制限されていた。私の受験時でさえ噂されたことがあった。有名私立大学の一次試験の合格者に女性が多くいたが最終発表段階になるとたったの数人になっていた。誰もそれをおかしいと思う人はいなく差別は日常的だった。国公立大学ではそんなことはなかったと思うが証拠を出すのは難しい。

眼科の病気で命に関わるのは子供の時では網膜細胞腫(命に関わることはないが生活全般にわたり支障をきたす全色盲)、皮膚科では悪性黒腫瘍、皮膚がんと膠原病などである。
美容外科が社会の豊かさに伴って繁盛するようになり、大きな看板が駅のそばのビルなどでよく見かけるようになった。医者の保険収入についてみると上位は眼科と皮膚科、婦人科の保険収入は最も低かった。ただし不妊外来をおこなっている婦人科の場合は保険診療ではないのでその統計には現れない。婦人科でも不妊治療するところは桁違いの収入がある。

女性は子供を大人にする過程で過重な労働を負わされている。そのうえ排卵、月経というこれまた月々大変な労働が加わる。月経についていかなるものか話されることはあまりない。微妙な問題と言えなくもないが、それを考えれば人間の持続性に関わることと親や教育関係者が認識すべきだが、今はそれでも昭和の時代より良い。

生理的現象において生理の期間、人にもよるがお腹の不快感と痛み、頭重感、倦怠感は生理が終わるまで4~5日続く。股の間からじくじくと出血があり決して気分が良いものではない。パットをうまく着けていないと下着が汚れ、夜は寝込んでしまうと布団まで汚れてしまうのでその間は注意しなければならない。その期間に重要なこと例えば国家試験や学期末試験とかがあっても行かざるを得ない。私は定期的にやってくる月経は煩わしいばかりか何の幸せも感じなかった。更年期になって何が良かったのかはあのパット、シーツと格闘する日々がなくなったことだ。閉経は女性の体に負のものをもたらす。動脈硬化性病変を進行させ骨の密度を下げ首から腰の曲がるのを促進させる。昔は生理の時期を代えることが出来なかった。今はホルモン薬投与で調整できる。昔のオリンピック選手はどうしていたのだろか?女性のオリンピックマラソンが始まった頃には既に黄体ホルモンを飲み続けて生理を遅らせる事は出来るようになっていたと思うが、それ以前はパットを当てながら足り幅跳びなどをやっていたのかどうかわからない。
なぜこのようなことを書くかと言うと女性の仕事の選択にも関わることだからだ。医者は集中力が落ちてしまうときは命に関わる仕事は避けたい。しかし、私は命に関わる診療科を選んだ。急性期疾患心臓病に関わったがやはり中途半端であった。よほど体力がないと女性が立ち続けるような大きな手術はできない。男性は漫然と捉えているには違いないが、今ここで書くチャンスがあったので医者の立場で書いた。

医者の仕事ばかりでなくどの分野でも仕事が出来ても1年先に人類が終わるとなれば仕事は何の意味があるだろうか?すなわち全ての女性が月経が煩わしいので子宮を取って子供を産まなくなったとしたら未来はない世界になる。皆に尊敬されて敬愛されたH教授の言ったことはまさに的を得ていた。女性は女性としてふさわしい仕事がある。何も寝ずにベッドのそばで頑張る必要はないと言った。もう1人のA教授はここの部署に女性が来ると死亡率が高くなると言った。女性は仕事に対する熱意もなく能力が劣る。人の命に関わるのでここの部署に来てほしくないと言いたいのだ。確たる統計はないのだが企業や職場にはそのような考え方をする人が現実にいる。医者の世界も例外ではなく日本では上位に位置する人はほとんど男性である。一番できの悪い男性でその下にトップの女性がいると言った大学教授がいたが勿論、業績も何も残さず定年退職した。

職場では時間が来れば子供のいる女医といえどもある程度で仕事を切り上げて帰る。自宅ないし保育所で子供が待っている。きちっとした当直医との連携が出来ない部署では一旦家に帰り、もし何かあったら電話で呼び出されるようになっていた、これは良いシステムではない。結婚も顧みず仕事をやっていれば自分自身は充実した仕事人生を送れるかもしれない。そのような選択をする女性が多くなったから子供が少なくなっている大きな要因となっている。勿論それだけではないが子供を産むか産まないかを決めるのは女性である。女医が多くなるのは嬉しいが、子供を持っていては命を扱う仕事はいろいろ制約も生じるので医学の世界では卒業後の選択はやはり眼科、皮膚科になっているのは何とも言えない。不都合はめんめんと続いている。

いつも男性の医者に気兼ねしながら家に帰って遅い夕食を医者である女性が用意する。夫は早く帰っても食事をする準備はしない。ゴルフの練習に行って妻の帰りを待っているような家庭では医者の妻が命に関わるような科を選べるはずがない。そのような事が脆弱な政治体制と関連づけられなくはない。
精神科の患者は抗精神薬を飲まされているのでみんなおとなしくなってしま
い自殺を除くと緊急事態になることはないので楽だ。放射線科も同様、診断も治療も計画的にやっているから楽だろう。しかし精神科は時間的負担が少ないが病状によって医者側の精神的負担が大きく、女性の精神科医は日本では少ない。さらに精神科で扱う病気が抽象的で決定打に欠け達成感は少ない。

人の命に関係する科を選ばなくなっている。私の時代に戻るとクラスの中で皮膚科、眼科、放射線科を選んだ人は誰もいなかった。高度経済成長期以前では医者になったのは人命を救いたいからであったから内科、外科、産婦人科、小児のメジャーの科を選ぶ人が圧倒的に多かった。ちなみに当時マイナーと言うのは眼科、皮膚科は言うまでもなく中間は耳鼻咽喉科、整形外科、麻酔科、放射線科などである。基礎医学へ進む人はいたが圧倒的多数の人は臨床医学を選んだ。もっとも超一流の大学では基礎医学に進む人も多かったかもしれない。基礎医学こそ医学を発展させるものではあるが、何科をとってみても生命の根源と関係あった。今は多くの大学が医学部を持つようになり女医の数も増えた。

町を歩くと皮膚科が多いのにはびっくりしてしまう。美容外科、レーザー光治療などが看板に書き加えられている。皮膚科は女医が多い。ようやく娘が医者になったがアトピーとか水虫を診させるため学費を払ったわけではないと親はがっかりしてしまう。2人の女子医学生を持つ友人の医者は2人とも皮膚科になった。また大病院を経営する女医さんの娘も2人とも皮膚科を選んだ。周囲もなんともいえない複雑な気持ちを抱いたと思う。

アメリカの医学生について話を聞いたことがあるが、耳鼻咽喉科医や皮膚科医になるのは成績がトップクラスでないとなれない憧れの科である。なんだよ!鼻の穴とか耳の穴とか口の中とかそんなものばかり見てうんざりしないのか?耳鼻咽喉科は1日中立っていなければならないので辛いとある耳鼻科医が言っていた。

私のクラスで耳鼻科医になったのは2人いたが両方とも親が耳鼻咽喉科医だった。魅力のない耳鼻咽喉科はなる人が少ないので教授になれるチャンスが高いのでなったとそのうちの1人が話していた。実際に国立大学の教授になった。計算高いとは言えないが、なり手のない科を守ってくれたとも思える。メジャーの科は命に関わる事が多い。だから志しの高い人や成績の優秀な人が選ぶ。放射線科は放射線治療を受ける患者全員が癌で重症患者を見ることになる。更に放射線科は各科の診断に関係する。今はMRI、CT、PETなどを読むのは放射線医である。患者を直接診ないので気分的に楽といえる。私の時代に放射線科や麻酔科を専攻する人はほとんどいなかったということは医学が間違いなく発展した証拠になる。

ひと昔前、整形外科は力の要る科と思われていたので男性の仕事だった。今は力のいる事は作業療法士や理学療法士がしてくれるので手術をしなければレントゲンの所見を見て説明すれば良いので交通事故以外は待機的治療となって女性も選ぶ科となった。眼科、皮膚科はルーチンにしてよい検査が沢山あるので収入を上げることが出来る。おまけに検査は医師が側にいれば看護師でも素人でも眼科では眼圧、視力、視野を含む検査をしてよい。皮膚科では昔は少なかったがアレルギーについて多項目にわたる検査をしてもよく、検査をすればするほど収入は多くなる。内科では胸部レントゲンから癌を疑って気管支鏡をしたとしてもその難易度は高い。素人でも出来る検査に健康保険から払うべきでないと思う。私が眼科、皮膚科にかかった時、内科にかかるより2~3倍の自己負担があり納得は到底できない。
その様な事態が現実にあることを読者は知って欲しい。

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