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あなたを忘れない


花子がいなくなって丸3年、小梅がいなくなって一年半がたつ。


あの時もっとできたのではないか?自問自答の日々だった。

今でも後悔がないと言ったら嘘になる。

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花子は私の分身だと思うくらい気持ちが通じ合った。

13歳9か月。

2回の出産で小梅と小春を産んだ。

育児放棄しそうだ!と思ったが、期待を裏切りしっかり育児をした二児の母。

自己免疫性溶血性貧血を発症し、一緒に治療を頑張った。

幾度となく危機的場状況を乗り切った矢先だった。

家庭の方も落ち着きこれから‼️という時だった。


前日までご飯をもっとくれ‼️と言って騒いでいたのに明け方急変。

自力で立ってるのも辛い様子だった。

入院し、病院のはからいで朝仕事前と、仕事終わってから顔を見に行った。

今日乗り越えれば!という時、さらに悪化。

朝仕事前にお見舞いに行き私は仕事をしていた。


仕事中に「ママ辛い」という花子の声が聞こえた!


急いで病院に連絡を取って聴いたら尿が出なく管で取ったところだと言われた。

花子は主治医の先生なら治してくれると思っていたに違いない。花子の目は先生を信頼していた。


花子の弱音を聴いたのは初めてだった。


その日の夕方病院に行った時はご飯も食べたと言われたその時、急変した。

急いで家に連れて帰った。皆んな花子さんお帰り‼️とワンワン、ペロペロしたとき大きな深呼吸をして空に旅立っていった。穏やかな目をして眠っているのかと思った。


5日間の入院。


お友達のワンちゃんが今まで足が不自由でスロープをのぼらなかった子がその日の夕方スロープを上ったと連絡があった。

お散歩嫌いのワンちゃんは花子さんが来てくれてるみたいでお散歩に行くようになったと言われた。

荼毘に伏す時、多くのお友達が空を見てくれた。

九州から東北、北海道、お空に一本の雲が走った。写真を送ってくれた。

花子さんが挨拶に来てくれたよ!そう言ってくれた。


花子がいなくなって寂しいとか哀しいでは無かった。


自分の一部がなくなったように不自由な感じがした。


しかし、花子の娘の小梅は私に休みをくれず、体調を崩した。花子と最期に頑張った病院に行くと花子が出てきてくれるように感じた。

そしてその一年半後に小梅も同じ病気でお空にいった。小梅が旅立った日にアニマルコミュニケーションの予約が入っていた。

小梅も前日に急変し緊急入院したが体調が悪化したため家に連れて帰り、電話での急遽アニマルコミュニケーションのセッションとなった。

小梅はお家が一番好きだと言ってくれた。なによりも嬉しい一言だった。

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お家に連れて帰った事どう思っているのか?元気になったら何が食べたいか?何が好きだったか?今どうして欲しいのか?

色々教えてくれた。

その中で梅の花を見ている。と言われた。実家の窓から見える庭の梅の木を言っているようだった。

小梅という名前についているの花が小梅は好きだったらしい。


その日に予約をしていたのは偶然だったのか?小梅が最期に伝えたい事があったからその日まで頑張ったのか?セッションが終わった瞬間に旅立った。



私は花子と小梅の声をそれぞれ違う形で最期に聴くことになった。


そして、去年の小梅の四十九日、花子の三回忌をお寺で済ませた頃、アニマルコミュニケーションを習わないと‼️と思った。

何がしたいか?どうしたいか?ではなく「やらなきゃいけない」とただそれだけだった。


私が聴いた声。

花子の声。

その声が聴けた事は私の宝。


小梅が好きだった梅の花は私を癒してくれる。

梅の季節は小梅の季節。

小梅は梅の蕾がつく頃に生まれ、花開く時に旅立った。


私はいつまでも忘れない。

そしてもっともっとこの世にいる時よりも話ができる様になりたい。

花子と小梅が導いたアニマルコミュニケーション

アニマルコミュニケーターになれるように‼️




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