先のない年の差恋愛をやめたら肌荒れが治った話

私は10代末期から20歳の頃、ふた周りいかないくらい年の離れた人とお付き合いをしていた。
相手は当時のバイト先で出会った人で、バツイチで、親権は元奥さんにあるので会ってはいないが、中学生の子供が1人いた。

職場のルールで帽子を被ることが義務付けられていたので出会ったばかりの頃は知らなかったのだけど、その人は頭部がわりとしっかりハゲていた。30代半ばにしてはかなりインパクトのあるハゲ具合だったと思う。
当時の私はその人の経歴や頭髪事情を知っても特に気にもしなかった。ましてや年の差のことなんて、全く短所として捉えていなかった。

付き合い始めの頃は、ただただ新鮮だった。
それまでは同い年か1つ2つ違いの人としか、恋愛はおろか友達関係すらなかった私には、自分より10年余長く生きている男性の嗜好や生活や振る舞いが目に新しいものとして映った。

彼は基本的に優しかった。時に父親のようでさえあった。父親のいない暮らしをしてきた私は、その「父親的な愛情」が心地よかったのだと思う。まあ後になって、そんなものは父親の愛じゃないと思い直したのだけど。とにかく私を否定するようなことはほとんどなかった。

彼との付き合いが長くなり、彼の一人暮らしの家に泊まることも増え、半同棲とまではいかないくらいになった頃、私は将来のことをよく考えるようになった。

私は結婚がしたかった。子供は好きじゃないけど、誰かの妻になってみたかった。当時の職場に上手く馴染めずうつ病を発症していた私は、社会人としてやっていく自信もなかったことから、結婚して夫に養ってもらいながらパートと家事をして暮らしたいという下心も少なからずあった。

彼との結婚を考えた時に、まず問題になるのが金銭面のことだった。
彼自身いつまで元気かわからない。彼の仕事は体力仕事で、残業ありきでの給与体系だったこともあって、不安が大きかった。

子供は望めない、マイホームも望めない、彼に何かあった時に自分が稼いで支えていける自信もない。彼といれば選択肢が狭まることに私は薄々気づいていた。

だけどその頃の私は、人生を俯瞰して考えるにはまだ若すぎた。子供なんかもともと好きじゃないし、マイホームなんか今どき買っても負債になるだけだし、彼が働けなくなっても国からの補助でなんとかすればいい、と無理やり自分を納得させようとしていた。
そうまでしてでも彼にこだわったのは、彼を諦めたら二度と自分を受け入れて愛してくれる人なんて現れないという強い思い込みがあったからだった。


彼はタバコをよく吸う人だった。
私が煙たがるので一応窓際で吸うけど、気が抜けている時なんかはときどき私の傍で吸っていた。本人が気胸になってからやっと少し禁煙を意識し始めて、電子タバコに乗り換えたりしていたけど、私がタバコを嫌がることに対してはあまり理解がなかった。

私は将来よりも何よりもそういうところが嫌だった。タバコは外で吸って、部屋を掃除して、寝具を定期的に洗って、清潔にしていてほしかった。

毎回外食ではなくて、キッチンを片付けて、料理道具を揃えて、2人で料理を作って食べたりしたかった。


彼の生活は何もかもがその場しのぎだった。平気で嘘をつく人だった。引越しの時に荷物を詰めたダンボールを1年も2年もずっとそのままにしている人だった。
元奥さんとの離婚理由は彼の浮気だった。妊娠中だか出産後だかに、友人の彼氏持ちの女とホテルで会ったのがバレたらしい。


私は悩んでいた。彼の部屋に行く時はいつも私がトイレから風呂からリビングから全て掃除していたこと。新しいのを買ったのに、ボロボロの古いソファーをずっと置いておいて捨てないこと。タバコを近くで吸うこと。電子タバコにしたと言っていたのに紙タバコをたびたび吸っていて、理由を聞いたら「間違えて買った」という言い訳をされたのが3回続いたこと。よくわからないところにお金を使うこと。離婚理由のこと。貯蓄が私より少ないこと。なのに車のローンが残っていること。つまらない嘘をつくこと。


会社の人間関係が元で鬱になり、ただでさえギリギリの精神状態だった私には、彼の存在がどんどん重荷になっていった。
支えてくれる頼もしい存在から、私が抱えなければいけない重荷に変わっていく彼を受け入れられなかった。

狭いワンルームのアパートに、タバコと加齢臭の混じった臭いのする頭のハゲたおじさんと2人ぼっち。
その場しのぎにこの生活を続けていって、その先にあるのはなんだろうか。


その頃の私は、シャンプーを変えようがトリートメントを変えようが、美容室で高いトリートメントをしようが髪はバサバサに傷み、皮膚科に通って化粧品やスキンケアにこだわっても肌が荒れに荒れていた。
多分すべてストレスが要因だったのだと思う。
彼と別れる数ヶ月くらい前から体調もずっと良くなかった。身体が重くて、頭がぼんやりして、趣味の愛車を運転するのも楽しいと思えなくなっていた。


彼と別れてしばらくして、今の恋人と出会った。
年の差は片手の指でおさまるほどの若い恋人ができて、初めは不安だった。けれど、そんな不安を忘れさせるくらいに優しく、私を知ろうとしてくれる恋人のおかげで、私は徐々に元気を取り戻していった。

美容室は半年に1度くらいしか行けていないし、シャンプーも薬局で買えるものに変えて、スキンケアも薬局で千円くらいのオールインワンで済ませているけど、以前より髪も肌も綺麗になったと自分でも感じるし、恋人にもそう言われる。

中途覚醒を防ぐために睡眠薬は飲んでいるけど、規則正しい時間に眠気が来るようになった。睡眠の質が向上したことも肌や髪に影響しているのかもしれない。

今は、その恋人と2人暮らしをするための家を2人で探している。今度2人で不動産屋さんに行く予定も立てている。
私が古い愛車を大切にしているので、いつかはガレージ付きのマイホームが欲しいと話したら、恋人も賛同してくれた。私の愛車と、彼の愛車と、もう1台私の足車をそのうち買うかもしれないから3台分のスペースが要るよなぁなんて言いながら、地元のハウスメーカーのHPを見ていた。


22歳になったくらいから、小さい子供を可愛いと思えるようになった。YouTubeやテレビで小さい子が出ていたり、街中でキャーキャーはしゃぐ子供がいたりすると以前は「うるさいなぁ」とか「鬱陶しい」としか思えなかったのが嘘のように変わった。
恋人とはまだ子供についての話を真剣にしたことはないけど、将来のもしも話に自然と子供のことが出てくる。

私にはまだ色んな選択肢があるのだと、彼は教えてくれる。行動で、言葉で、態度で。
まだ22歳。仕事も恋愛も健康もまだまだ全然取り返せる年齢だと、ことあるごとに彼が言うおかげで、私もこの1年ほどでかなり楽観的になった。


あのころと比べて革命的に人生が変わったわけじゃない。むしろまだまだこれからであって、元彼と別れた途端に人生薔薇色だ!などと言いたい訳でもない。
けれど、あの頃19歳、20歳の私が、先の見えないおじさんに(勝手とはいえ)人生を捧げようとして消耗していたことは事実だ。若い頃に自分を見失ったり、わけのわからんことに執心して周囲が見えなくなることはよくあることだ。それも含めて青春みたいなものだ。だけど、あのころの、あの暮らしをしていた私を思うと、あれは青春ではなかった、ただ狂っていただけだ、としか思えない。

来月には私は23歳になる。20歳でボロボロに擦り切れていた私があの時決断してくれなければ、今の私には何も無かっただろう。

あの時期の記憶を消し去りたいと思わないことはない。でも、あの時の擦り切れた自分を思うと、あの時はごめんね、ありがとう、と、思ってあげることくらいはしなければと言う気持ちもあるのだ。


寒くなるとあの頃を思い出す。思い返すと、あの頃の記憶はいつも寒かった。冬の間しかつきあっていなかったわけじゃないのに、不思議と当時の記憶の中にはいつも寒かったことが強烈に残っている。
今日と明日は大寒波らしいから、ふと思い出して書いてしまった。


20230124 

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