高校生の愚か者が、空気階段の単独ライブを見た。

当記事は、空気階段第5回単独公演「fart」の重大なネタバレが含まれます。まだ配信をご覧になられていない方はブラウザバック推奨です。読まれる方はご注意を。













空気階段単独ライブ「fart」。
最後のコントで17歳の少年が出てきた時、私は彼に自分を重ねてしまった。

私は来年から、高校三年生の17歳だ。
そして、どうしようもない___________

「愚か者」だ。


去年の6月、私はストレスでパニック発作を頻繁に起こすようになった。毎日毎日過呼吸に悩まされる日々で、学校で倒れ保健室に運ばれることも少なくなかった。お陰で保健教諭には名前を覚えられた。
そしていつしか、ドミノ倒しのように全てが上手くいかなくなり私は学校に行けなくなった。
親には「甘えだ」と怒鳴られ、友達には嫌われ、狭く暗い小さな部屋で誰とも話さず一日の3分の2を寝て過ごした。食欲も一切湧かなくなった。

毎日死にたいと願い、遺書まで書いて、人生に絶望していた私。そんな中、唯一見ることが出来た娯楽が「空気階段」だった。


空気階段は高校一年生の頃好きになった。

元々漫才は好きでもコントはあまり好きではなかったのだが、空気階段にそのイメージを180度変えられた。
凡人には思いつけない発想と、コントでしか表現出来ない空気階段のファンタジーの中にギュッと詰まった暖かさに私は直ぐに惹かれてしまったのだ。
いつしか全てのコントを追い、今まで一切見てこなかったテレビもよく見るようになった。そしてその年の単独ライブannaを見て、来年は絶対に生で見たい、と誓った。

だがまぁ不登校の期間は単独ライブのことを考えられるほど余裕もなかったし、なんなら死のうとしていた身分だ。
ただ頭が死というベクトルに向かわないように使っていただけで、呆然と眺めることしか出来なかった。


ある日、担任から「このままだと出席日数が足りず留年の危険がある」と電話が来て、私は体調は万全では無かったが無理やり学校に復帰した。

案の定それからも死にたい日々は変わらず、パニック発作も良くなるどころか悪化し、親は私の対応で気を病み離婚しかけたりと本当にてんやわんやだった。

私の生きている意味はどこにあるのか。
私のような弱くて愚かな人間は死んだ方がいいんじゃないか。

ただ1人で、世界に置いていかれていた。


そんな時空気階段の単独ライブの知らせが来た。

空気階段初の全国ツアー。私はこれは「チャンス」かもしれないと思った。

地方に住む私からすれば東京なんて軽い気持ちで行ける場所じゃない。
でも東京に行けば、何か変わるかもしれない。愚かな私も、生きてていいと思えるかもしれない。
死にたくて死にたくて仕方が無い日々を、生き抜くヒントが貰えるかもしれない。


気がついたらチケットを予約する手が動いていた。スペース・ゼロ東京公演。1枚。

そして当落発表。奇跡が起きた。当たった。
その時私は、東京に一人で行く決心を決めた。

それからは忙しかった。
新幹線の予約を自力でしたり、関東に住んでいる親戚に泊まらせて欲しいと頼んだり。今までした事の無いようなことを沢山した。1人で東京に行くだけなのに途方もないほどの不安が襲っていた。私は17年も生きてきたんだと大人ぶっていたけれど、たかが17歳。まだまだ未熟だったと気づいた。

でも何故か楽しかった。ワクワクした。
死にたくて仕方がなかったはずの毎日が、少しずつ柔らかくなって行っていた。

たとえ未熟だったとしても
自分を変えたいという気持ちは未熟ではなかった。そう気がついた。
私は未知の土地東京に心を躍らせていた。


結局コロナの影響で1泊の予定を日帰りに変更したものの、2月13日、私は無事東京行きの新幹線に乗った。


東京までは案外すぐだった。
リクライニングは倒せず2時間直角のまま過ごしたし、富士山は見えなかったし、噂程度に聞いていたダイヤモンドより硬いアイスも勝手がわからず買えなかったし、予め買っておいた弁当も緊張で食欲が湧かなくて殆ど口に出来なかったし、やっぱり上手くいかなかったがなんだかんだ横浜に着いた時には写真を撮れるくらいには落ち着いていた。

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そして東京に着いた。
その時にはもう自信は満ち満ちていた。
ただ空気階段に会いに行くために、新宿に向かった。


新宿は迷った。迷路だった。南口を探し求めてさまよった。スマホ片手にホームをうろうろした。でも、アナウンスから高円寺や阿佐ヶ谷などの地名が流れて興奮した。

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そして新宿南口改札を抜け、スペース・ゼロへと向かう。人が多かったからなるべくステルスで。コロナも怖いしあえて街の真ん中を歩く。街並みはさほど私の住んでいる名古屋と変わらない。ただ規模がでかい。名古屋は名古屋駅周辺以外は田舎だから。そりゃあコロナの感染者も多いことだ。

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そして着きましたスペース・ゼロ。
1時間前に着いたけどもう既に十数人は入口の前で待っていた。カップルで来てる人もいれば大人っぽい女性が1人で来ていたり友達同士で来てる男性もいたりした。やっぱり私はひときわ若造だっただろう。背も小さいし。

そして入口が空き、中に入る。検温に並んでいると優しそうなお姉さんが「こっちのが空いてますよ♪」と声を掛けてくれた。こんな若造にも声を掛けてくれる東京の暖かさを感じた。


ホールに入ると、既に客入れの曲が流れていた。ブルー暗転の舞台に薄暗いホール内に興奮が止まらなかった。しかもそれなりに近い。席に行くとポストカードが置いてあった。

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「俺は確かにキミとこの場所にいた!」

私は彼らに会いに東京に降り立った。
その実感がこの言葉だけでふつふつと湧いてきた。

トイレや頭痛薬を飲み終え、席に座る。もう結構人が集まってきていた。
待ち時間に私は古典の単語帳を開いた。実は来週にはテストが始まるというギリギリの状態だったこともあり、待ち時間は客入れの曲を聞きながら古典単語の勉強をするというかなり贅沢なことをした。多分意味わからないやつだったと思う。ただお陰で古典の点数は82点だった。ドーピング?


そしていよいよ開演時間。
暗黒大陸じゃがたらのタンゴが流れる。みるみるうちに舞台が暗転していく。私はその日1番の心拍数になった。そのまま目をつぶって深呼吸をした。たかがお笑いライブでそんなアスリートのルーティンみたいなことをするなと思うかもしれないが、それくらい、私は人生をかけてこの公演を見に来たのだ。

オープニングコントはマスクを外してコーヒーを飲むかたまりさんに裸のもぐらさんが怒鳴り込んでくるコント。まさか開幕早々もぐらさんの裸体を拝むとは。2人のパーソナルな部分が全面的に押し出されたコントだった。

OPは近藤真彦の愚か者。後から親に言ったら「ショーケンver.のが良いって〜」と言われたが私にとっての愚か者は近藤真彦の方。
千秋楽では恐らくそちらのver.に変わっていたけれど、やはり私にとっての愚か者は近藤真彦の方に変わりはない。
鈴木もぐら、水川かたまりという文字に泣きそうになった。字体が空気階段らしくていい。私レベルになるとフォントまで愛せるようになる。

(順番にコントの感想言っていきたいけど、順番は千秋楽の方を採用します。)

1つ目のコントは東京。
かたまりさんの岡山弁。親戚に岡山の人がいるので妙な親近感があった。
私も勢いで1人で東京に来ている身だから、何だか感慨深くなった。大分に連れてかれなくてよかった。

2つ目のコントはハイスクールクイズ群馬予選決勝。
私が観た公演では最後から2番目だったんだぜ?〇〇〇〇〇って何回言ったんだろう。こういう下ネタでも気にせず笑えるのが1人の特権。隣のお姉さんは笑ってなかった。

3つ目のコントはLet It Be。
聖地巡礼を思い出す。最初の始まりの曲が大好き。私もモールス信号で隣人と会話してみたい。ボンゴのミュージシャン、渋ぅ。でも曲名のセンス大好き。

4つ目のコントは一子相伝。
コント追加されてた...。唯一生で見られなかったかたまりさんの女装がここで。袴姿の女装いいな。思わず可愛いって言ってしまった。徳川家のモノマネ代々伝えて来てるのに誰でも知ってる情報しかないの笑う。日本史選択なのでこれ見て受験勉強します。

5つ目のコントは神村クリニック。
これまた15禁。一つ一つの言葉の選び方がエロ面白くて爆笑した。男の人の話だから私にはよく分からないけど、多分女性のカップとかと同じって思うと納得する。

6つ目のコントはYOURギガソング。
結構あぁいうオタクいる。ドルオタではないけどそういうイベントに何回か行ったことがあるから最前で激しいダンス踊ってるお兄さん達を思い出した。空気階段の単独ライブなのに空気階段がステージから居なくなるって何事?

ここまで5つ。全部面白い。

そして最後のコント。fart。
どんなコントなんだろうか。そう心を躍らせていた。


__________「僕は、愚かだ。」


その言葉に、私は鳥肌が立った。

最後のコントは高校を中退した17歳の少年ツトムと、妻との約束を果たすべく、鳥を踊らせようと試みながら伝説の鳥を探し求めて旅をする鳥爺の話。

ツトムは今の私と酷似していた。
ずっと1人で殻にとじこもり、周りと自分との違いに落胆し、当たり前のことが出来ない苦しみを抱いて、怯えて生きていた。
私の苦しみが、丸々言語化されたみたいで言いようもない不思議な気持ちだった。

怖かった。偶然というには不思議すぎる。
何か変われるかもしれないと思って衝動的に東京に向かっただけなのに、ここまで自分の環境とそっくりなコントを見られるなんて。
神様が、私を導いてくれた。
馬鹿みたいだけどなんか漠然とそう思った。

それに私があの地獄の期間に感じていたことが、全て表現されていた。
1人で、みんなに置いていかれるようで、私はこれからどうしたらいいんだ。もう死んだ方がいいのか。愚か者でバカで弱くて惨めで、でも上手くいかない人生。泣いて寝て、起きて泣いてだけをエンドレスに繰り返す毎日。

無理やりそこから抜け出した私は、そんな日々の思い出を消化しきれていなかったんだと気がついた。
でもツトムもといかたまりさんのそんな演技を見て、そんな日々の記憶は徐々に解れていったような気がした。そして、笑えていた。

そして長渕剛の乾杯が流れる。

「乾杯!今君は人生の
大きな 大きな 舞台に立ち
遥か長い道のりを 歩き始めた
君に幸せあれ!」

まるで背中を押されているようだった。
年齢的にも空気階段の単独ライブで流れる曲は知らない曲ばかりだけど、初めて知っている曲が流れたのもあって、涙が出た。

私のこんなクソみたいな人生も大きな大きな舞台で、そんな舞台に立って長い道のりを歩いている。ツトムや鳥爺に向けた言葉なのかもしれないけど、私は自分の事のように受け取ってしまった。

最後、伝説の鳥を見つけるシーン。

それまでと打って変わって美しいピアノバラードが流れる。これは、ずるいと思う。

そういうことだったんだ。そっか。

2人がセンターを割って大きな鳥を見上げる。もう限界だった。涙が止まらない。

鳥爺があれを漏らして笑い泣き。笑いと涙がごちゃ混ぜになった初めての感情に、私は何だか心が暖かくなった。


それからのツトムの顛末を聞き、要所要所に織り込まれる伏線に笑いながらも何だか勇気を貰った。
私も将来は東京で働きたいと思っている。大学は地元で進学するが、空気階段の単独を見て夢が出来たから、将来は東京で働く。

私もいつか、空気階段を見るために降り立ったこの東京に夢を叶えに来たい。

気がつけば死にたいという感情は、限りなくゼロに近かった。

カーテンコールが終わり、規制退場。
2時間同じ体制で座りっぱなしだったのもあってか上手く歩けなかった。でもその歩けなさが放心状態の自分の心と重なった。私は結構歩くのが早いタイプだから、余韻に浸りながら歩けたことはとても良かった。

コロナの関係で殆ど何も見ることなくとんぼ返りで名古屋に帰った。親から頼まれていた芋ようかんとお土産用のお菓子だけ買って新幹線の改札を抜けた。

かなり早く着いたのだが、何か見て回るのもコロナが怖くて出来ないから待合室の椅子に座ってメモに今の気持ちをとりあえず書き留めた。もちろんここに書いたようなことも書いてあるが、中には

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馬鹿みたいなことも書いていた。


時は経ち、2週間後。
熱も無く無事潜伏期間の2週間を過ぎ、安心した。なかなか危険な賭けだったから、感染しなくて良かったと心から思う。

さて、私は何か変わったのか。
変わりたいという願いは叶ったのか。


東京から帰ってから私は本屋に行った。
そしてそこで英単語帳を買った。

1400単語。某有名単語帳。
毎日100単語ずつ確認している。
まぁ記憶力クソだから、4割覚えてればいい方なんだけど。

心療内科で抗うつ薬も貰った。
これは単独ライブ行く前から始めてることだけど。そのお陰で今は何とかみんなの当たり前についていけている。

見る人によっては「それだけで変わったなんて言うなよ」と言われるかもしれない。
けど私は、少しだけでも変われたんじゃないかと思っている。


空気階段を好きになってよかった。
空気階段に出会っていなかったら今頃死んでいたかもしれない。

私は愚か者だ。弱くて、普通じゃなくて、みんなが思う当たり前は薬が無いとまだ上手くできない。でもいつか胸を張って人生を生きられるように、もう少しだけ頑張ってみる。

fart。おなら。愚か者。

最初はなんて下品な名前、と思ったけど今はこんなタイトルの単独をしてくれたことに感謝しかない。

ありがとうございました。
本当にこれからも大好きです。

しがない高校生でした。
長文読んでくださってありがとうございました。

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