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記憶について

僕の友人は師匠のもとで修行をしていたことがあった。
僕もその師匠とは面識があったのだが、修行から帰ってきた友人のふとした時に見せる表情や所作が、師匠とそっくりだった。
その師匠が高齢で体調を崩していた折だったので、生霊が乗り移ったのではないかと、そうとしか思えなかったほどだった。

その友人の口癖が僕に移ったこともあった。我々は協同して多くの議論を交わしたのでもはや片側にオリジナルな思想というものはないのかもしれない。
しかしいかにも彼の使いそうな言い回しが僕の口から出てきた時には、自分が少し昔とは変容していることに気付かざるを得なかった。

僕が子供を持ったとき、その子供はきっと僕に似て気難しく、ぐずった顔で、僕の焼いたホットケーキを食べるのだろう…。

とかく人というものは、関わった人の手触りを覚え続けるのだ。
好きになった人が好きだったものを好きになること、人から受けた温かみを別の誰かに返すこと、人を傷つけた行為が二度とできなくなること。
全ては体の中に埋め込まれ、概ね意識には上ってこないまま、行為として再び現れる。
記憶とは、その人が現在そうであることの、別名ではないだろうか。

動物や植物、石や風と会話ができる人は、彼らをこの連関に入れても良いだろう。
その時、生きる中で重大でないものは何もなくなる。
つまり、この瞬間を、ただ、味わうだけで、あなたを形づくっている記憶は完璧に、あなたの中に堆積しているのだ。

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