ばっちいゲボゲボなもの

以下、キングオブコント2022のネタバレを含みます。






岐阜ワンダーランドでキャストとして働くナンシー(吉住)は、勤務中よろしく私生活でも満面の笑顔をくずさず、身振りは大仰だ。しかしそれもそのはず、ナンシーは岐阜ワンダーランドの入社日に園長の沼田(岡野陽一)に「脳の羞恥心を司る部分」を破壊されていたのだった。
ある日、パレードの踊りでミスをしてしまい、プロ失格だと自分を責めるナンシーに、沼田が優しく声をかける。
「脳の一部を取っているのがプロ、取ってないのがアマだ」
だからナンシーはプロとしての自信を持つべきだと…。

キングオブコント2022の「最高の人間」のコントでのこのセリフが胸に突き刺さったままだ。
笑いを生むための言い回しであるという以上に、このセリフには何か真実を射抜いているような怖さがある。
この怖さは何かで味わったことがあると記憶を辿っていると、坂本慎太郎に行き当たった。

『あなたもロボットになれる』(詞・Shintaro Sakamoto)

眉間に小さなチップを埋めるだけ
決して痛くはないですよ
ロボット
新しいロボットになろう
不安や虚無から解放されるなら
決して高くはないですよ
ロボット oh
素晴らしいロボットになろうよ
弁護士ロボ 魚屋ロボ
歯科助手ロボ お米屋ロボ
税理士ロボ おもちゃ屋ロボ
アイドルロボ 警察ロボ
日本の2割が賛成している
不安や虚無から解放されるという

さて、私は岡野陽一という人間に異様に惹かれる。
岡野陽一はパチンコ、競馬、借金に染まったクズ芸人としてメディアに露出しているピン芸人だ。
本人の話によれば、初めてできた恋人に連れられたのがきっかけでパチンコにはまり、以後大学では一単位も取得せずに毎日パチンコ店へ通っていたという。

筆者も岡野と同じく、京都の大学に通っていた期間があるので、岡野が入り浸っていたパチンコ屋のことは知っている。学生が多く自転車で去来する通りにそのパチンコ屋はある。大学に通っている学生を横目に生活費を賭けてパチンコを打ち続ける焦げるようなひりつきは、パチンコをしない身にも、なんとなく想像できる。

親に金を無心し、金融業者から「これ以上借りたら、兄ちゃん、首吊らなあかんで」と諌められる程の借金を作ってまでパチンコに通い詰めていたら、私ならこう思う。
「なぜ自分は自分の弱さにあらがえないのか?なぜ世の中の人はなんの違和感もなく大学に行き、社会で働けるのだろう?自分の脳にはなにか重大な欠陥があるのではないか?」
しかし、次第にこうも考えるようになる。欠陥とは何を指す言葉だろう?
世の中をうまくやっていけている人々よりも、パチンコで生活を壊しながら生きる自分の方が、実存に生々しく触れているのではないか?消えてなくなっていくパチンコ玉を恐ろしい程の冷静さで見つめながら、そこに地上の幸せから絶望までを見出している自分こそが、人生の味わいを知っているのではないか?
この実存の感覚に触れてしまった者は、パチンコは悪で、世の中でうまくやることが善だ、という単純な構図の世界観には最早戻れないはずだ。と私は思う。

君はそう決めた(詞・Shintaro Sakamoto)
恋をしたり けんかしたりしたい
今日目覚めて 君は戸をあけて
突然外に 出た
この町で 生きている
行く人を 見ながら
そして肝心なとこで
しらけてみながら
朝がきて 夜がきて
また朝が 夜になって
また朝が来て また夜が来て 朝が

不安や虚無から解放されるなら脳の一部を破壊してしまうのも悪くないことかもしれない。実際に不安や虚無が自分を蝕んでいるときには特にそう思える。しかしそれでも、自分の脳みそを明け渡すことに根拠のない抵抗を覚えずにはいられない、そんな隘路に立つ人間の苦悩を、坂本慎太郎と岡野陽一の二人から感じるし、そっとそこに私自身を並べてみもするのだ。

うそが本当に(詞・Shintaro Sakamoto)
明日雨がやんだら どこかに出かけようか
雲が切れたらすぐに そこまで駆けていこうか
バラの花束捧げるような はずかしいこともできるし
好きな人裏切るような 残酷なこともできるし
いつの日か うそが本当に
なるように なりますように

ナンシーが園長の沼田を殺してコントは終わる。
それは恥ずかしさも惨めさも受け入れて生きることをナンシーが決意した瞬間でもある。
このコントにおける沼田は、人の脳を破壊する人物でありながらも単なる悪役ではなく、踊りをミスした自分を呪ってさめざめと泣いていたナンシーのあり得たかもしれない姿なのだ。


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