ローヌ川の星月夜

ずっと探している景色がある。
その景色を探し始めたのは、大学4年の夏のことだった。鹿児島に住んでいた母と福岡に住んでいた姉がわざわざ東京へ遊びに来て、私含め3人、上野に行った。
私の家は転勤族で、中学一年生までは千葉に住んでいた。千葉県松戸市北松戸。今はどうか知らないが当時あのあたりの学校は、否、幼稚園から中学までは、毎年上野動物園へ遠足する行事があって、そこは慣れ親しんだ場所だった。わざわざ行くには面白みがない。けれど、その夏はなぜか上野へ向かった。
上野動物園へ行きパンダを見た。私は蝉が嫌いで、園内を飛び交う蝉に怯え続けていたからあまり記憶がないのだが、母はいたくよろこび、園内でパンダのぬいぐるみを買っていた。
昼食に上野公園内で出ていた屋台のホットクを食べ、蝉から逃げるようにして国立美術館に入った。見たい催しものはなかったし、私は国立科学博物館にあるミイラを見たかったけれど、現在地から近いのが美術館だったのだ。適当に見て歩き、面白そうなものがあれば足を止めた。人は少なく、たまにすれ違う程度。平日の美術館のようだった。そんなこんなで2時間ばかりを過ごした。
帰り際、土産屋へ寄ろうという話になった。母は既にパンダを買っていたし、姉は随分疲れた様子だったから寄らなくても良かったのだが、母は私たち姉妹になにか買ってやりたそうだった。事実、動物園でぬいぐるみを欲しがらない私たちに、どこかさみしそうな顔をしていた。昔は買うまでごねたのにと、成長や年月の流れの早さを感じたのかもしれない。
とにかく土産屋へ入って、私たちはばらばらに物色を始めた。美術館内にあるのだ。売っているのは作品がまとめられた本だったり、お洒落な柄の色鉛筆やノート、ハンカチといったものたちだ。
姉は絵画の模様が入ったスマホケースを熱心に眺めていたが、私は早々に飽き、家に帰りたいと思っていた。買う気もない小物を手に取っては戻すを繰り返し、たまに姉の横へ並んでは、それを買うのかと問いかけていた。
そんな中に出会ったのだ。
メッセージカードとポストカードを足して二で割ったようなものだった。グラスがついていて、覗くと絵柄が立体的に見える。
そこに描かれていた絵が、ゴッホの『ローヌ川の星月夜』だった。
かなりチープな作りだ。絵の中に入ったようとはとても感じられず、ただ微かに遠近があるように見える。その程度の代物だ。けれど私はひとめ覗いた瞬間から、そのメッセージカードとポストカードの間のものを買うと決めていた。
恥ずかしい話、私の部屋はお世辞にも整っているとは言えない。本や漫画は繰り返し読むが、それ以外の紙製品はゴミ袋か棚の奥底へ。大掃除のとき引っ張り出されては懐かしむ程度。つまり、その土産と私の相性は、かなり悪いものだった。
母は姉に何かを、私にはローヌ川のそれを買った。帰り道、ゴッホが好きなのかと問われたが、曖昧な返事を返すに留めた。私は以前からその絵画を知っていたし、とすれば今日突然それが欲しくなったのは、絵柄だけに問題があるのではないと思ったからだ。
話は変わるが、私は海より山が好きだった。前述の通り蝉が嫌いなので夏に山登りなどできないけれど、山を見るのが好きだった。写真でも映像でもいい。車窓から眺めるのでもいい。けれどどういうわけか、その土産を買った日から、否、出会った日から、すっかり山への憧憬はなくなってしまった。代わりに海が見たくなった。昼間の海じゃない。夜の海だ。向こう岸にはオレンジや黄色のランプが灯っていて、月の出る夜。浜辺より桟橋がいい。
一つ不思議なことは、私が川ではなく、海を見たがったということだ。元々海が嫌いだったかと問われれば、山ほどじゃないが好きだったし、とすれば山への気持ちがさめた今、当たり前かもわからないのだが、とにかく夜の海が良かった。そして、誰かと共にではなく私一人でその場所へ行きたいと思った。
それからずっと、私は『ローヌ川の星月夜』が見られる海を探している。探していると呼ぶには何気なく、けれど海の写真や映像を目にするたびに、ふと考えてしまうくらいには。
いつか見つかるのか。ローヌ川へ行き、あの絵のモデルとなった場所へ赴いた方が早い気もするのだが、私は海が見たいのだ。
今日も土産の、もう随分とくたびれたそれを覗きつつ、思うのである。

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