「やらなきゃいけない」でシャドバをするのをやめにした、という話。

僕は今年で26歳になります。前の誕生日で「四捨五入したらアラサーやわ~」とか言ってましたが、もう冗談抜きでボーっとしてたらアラサーです。

僕の知り合いには高校生の人もいますから改めて置くと、社会に出てからの日々は本当にあっという間です。いかに学生の時の経験が何者にも代えがたかったかよく分かります。

もちろん社会に出てからの方が人生楽しいですし、価値観もぐっと広がりましたから充実はしてるのですが、やっぱり一日の過ぎ方が全然違います。言っても僕はまだ若い方ですから、さらに歳を重ねるともっと早くなるかもしれません。

「20代」というリソースを存分に使い果たしたいので、キャリア形成のために勉強もしているし、上司や同僚と飲みに行って夢を語りたい。可愛い女性とご飯に行きたいし、あわよくばそういう欲もある。

その「20代」というリソースの中の4年間を、僕はシャドウバースに費やしてきました。

もちろん全てのリソースを費やしたわけではありません。全身全霊をかけてシャドバに取り組んでいるプロや配信者の方々には頭が上がりません。でもそれなりに時間と思考を費やしてやってきたつもりです。

「ゲームの大会に出ています。賞金は400万円です。」というのは、とても良い飲み会のネタになる。それを基盤に職場やプライベートでのキャラ作りをしてきました。

それによって生まれる感情は、「あ、今日もシャドウバースやらなきゃ」というもの。

でもある時ふと感じたのは、「これって本当に正しい感情なの?」ってこと。

僕は小さいころからゲームが好きでした。3歳のころにポケモンを初めて触って、兄のフリーザーを訳も分からず逃がしてしまったり。ポケモンカードGBでルールが分からないから「おわり」を連打してみたり。ゼルダの時のオカリナで、ハイラル平原に夜に出てくる骸骨に大泣きしたり。その後父が頑張ってガノンを倒すのをずっと後ろで見ていたり。

中学の時サイゼリアでずっとモンハンをやって店員に怒られたり。高校の時に初めての彼女と一緒に星のカービィスパデラをやったり(口移しって機能、あれよくないよね色んな意味で)。

僕の人生はずっとゲームによって彩られていました。ですからきっとお爺ちゃんになっても僕はずっと何かしらのゲームをしていると思うのですが。

要は、僕はシャドバやカードゲームに心酔した人間ではなく、ゲームというものが純粋に好きな人間であるということ。そんな僕が、あるゲームを「やらなきゃ」って思ったのが初めてだったので、自分で自分に驚いた記憶があります。遊びであるはずのゲームに義務感を抱いたのが初めてだったんです。

その感情ってどこから生まれるんだろうって、しばらく考えていました。

どうしても今のシャドバ界隈では「レート」という数値が評価の対象になっていて、レートで好成績を残したり対戦数が多いほど前向きに取り組んでいると捉えられがちです。そしてそのこと自体は正しいと思います。結局他人を評価できる指標って数字と実績(とコミュ力)だけなので。

そうなると、僕をふくめた界隈の人間は、普通は評価されたいという方向に心が動くはずです。そしてそこまでの道に耐えられない人がどんどん淘汰されていきます。

身内に多いのは「今日も〇戦やらなきゃ寝れないよ~」という言葉を言う人です。その人はシャドバを本当に純粋なゲームとして捉えているのだろうか。

楽しみかたは人それぞれですから、ノルマを与えて達成することで快の感情を得る人もいると思いますが、僕はそこに少し違和感を覚えるような、そんな感覚があります。とても言い方が悪いと思いますが、時間というとても大きなリソースを割いて仮に上手くなったとして、その先に何があるんだろう。プロや配信者になってお金に変えれるのであればとても素晴らしいことだと思いますが、そうじゃない人はどうなんだろう。

これは、そんな人たちの動機を僕が知らないから言えていることであって、ちゃんと動機を聞ければ納得するかもしれません。そもそもシャドウバース自体が楽しすぎて何時間やっても苦じゃない、ってのは理由として想像できるところではあります。でも本当にそうなの?どこか義務感を持ってやってないの?という疑念は捨て去れません。

先の見えないものにリソースを割けるほど、僕の人生はヤワなもんじゃありません。

なので、僕は義務感でシャドバをするのをお別れすることにしました。するとあら不思議、前よりシャドバをする時間が増えました。なんてこった!!

この理由はシンプルで、大会にほぼ毎日参加するようになったからです。ランクマやレートで「数をこなす」ことよりも、大会で「この一戦を絶対にものにする」となった方が緊張感があって楽しいということに気づきました。敗戦後にリプレイを見るのも、やっぱりランクマよりも大会で負けた時の方が見る気になります。納得するまでずっと考えてメモに取ります。これで、取り組む動機が明らかになります。

結局、人生の選択は心の奥底からの動機によるものが全てで、動機のない惰性ほど意味のないことはないと気づいた、というのが最近の気づきだったので、発信させていただきました。

多分社会人で同じ悩みを持っている方とかもいらっしゃると思うんですね。シャドバをどう楽しんだらいいんだろう、みたいな。そんな人に届けばいいなぁ。僕の結論は動機を生み出す。惰性を捨て去る。というキーワードになります。

もちろん7月中ににはグラマスになりますし、レートも100戦はやりますけどね。

シャドウバースは本当に良いゲームだから、なんとなくやるには勿体ないと本気で思います。だからこそ、なんとかして最高の趣味にできないか、ということが今の最大の命題です。このように宣言したところで今回は終わっておきます。



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