ため息を 言葉にしてみよう 〜たぶん「ルダンゴト」〜

天を仰ぎ、ゆっくりと剣を飲み込む。(これ、観たことある!)
その剣を真っ直ぐに引き抜きこちらを見据えるまで、息を呑んで見つめるしかありません。だって彼女の手に時間を委ねてしまったのだから。
 
今夏に帝国劇場で観たミュージカルのプレショーを思い出しました。
知ってる。これから始まるお芝居は美しく、そしてきっと哀しい物語なんだ。

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉でケムリ研究室no.3「眠くなっちゃった」千秋楽を観てきました。

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館は、1998年、文化と建築と環境の調和をはかり、音楽・舞台芸術の中心・発信地となるべく誕生。
市民公募により、新潟の代名詞「柳都」と「ユートピア(理想郷)」を結びつけた「りゅーとぴあ」と名付けられました。

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 HP

ユートピア(理想郷)でディストピア(反理想郷)を描いた作品の公演だなんて、偶然だとしても何かしらの意味があるように思えてならない。

観劇後、真っ先に検索したのは感想ではなくコートの名称です。
仏映画とかで往年の大女優と讃えられる方々が着ていそうなアレですよ、アレ。

ノーラ(緒川たまきさん)とシグネ(水野美紀さん)が海を前にして語り合うシーンが美しかったです。客席前列付近からステージへとプロジェクションマッピングの波が寄せては返し、私たちは沖合から2人と対面する格好に。

2人が着ていたロングコートは、たぶん「ルダンゴト【redingote】」。
肩幅あたりはゆったりしているのにウエストにかけてぎゅうぅっと絞られていき、ネットで見かけたイラストや写真より丈が長かった。体を縁取るラインに無駄はなく、ウエストベルトを締めてしまったら、くびれから裾へ広がるシルエットはもたついてしまうだろうな。
このコート、17、18世紀頃の貴族が着ていた乗馬用のライディングコートが原型らしい。女性服への影響としては防寒や機能性よりも美意識成分多めで継承されているように思います。装飾でいくらでも華やかに変身できるし、ただ纏うだけで美しい。なんて潔い!(緒川さん、水野さんの立居振る舞いが美しいのです)
お芝居の設定は、あるかもしれないし、ないかもしれない、そんな未来。そこで生きる人たちの衣服は必要最低限で簡素、明るい未来像を思い描いた際にありそうな突飛なものはありません。松永玲子さんが演じるもう一人の娼婦も着ていることから、憶測ですが過酷な管理社会下での所属を特定できる制服的意味合いがあるのかもしれませんね。
このコート(たぶんルダンゴト)が生き残っている世界観は、過去、現在そして未来と一つの美意識で繋がっているような気がして、ないこともないかもと思いました。こんな未来は絶対にイヤだけど。

雪国出身ゆえか、防寒目的のコートにハイヒールのコーディネートは試着室くらいですから、裾から覗いたすらりとした素足を見ただけで血管が縮こまるようにヒヤッとしました。高く細いヒールでは砂に足が沈み込んでしまい、そうやって歩く姿はカッコわるいんだぞ、なんて現実的なことを考えたのはちょっと意地が悪いね。もちろん2人はそんな醜態を晒す事なく美しいままです。

印象に残ったシーンをもう一つ。要するに緒川たまきさんが美しかったということを強調したい。

記憶を吸い盗られたノーラ。
最後のシーンは足を投げ出してペタンと座り、糸が切れたマリオネットみたいだった。放心状態なのは喪失というよりは安堵、ようやく解放されたって感じで。
後ろからリュリュに抱き抱えられ眠りにつきます。眠くなったのは、あれは悪夢から目覚める間際だったから。そうだったらいいな、と思う。夢の中での出来事なんて自由なのに理不尽で、辻褄の合わないことばっかりだもの。夢と現実の間を行きつ戻りつする、そんな波打ち際で佇むノーラ。いつからかわからないけど、ノーラの悪夢、未来の記憶を見ていたような気がします。
ノーラの記憶を吸い込んだボルトーヴォリは悶死(今度は彼の悪夢の始まり?)。
どんな未来がいいかって?今を生きる私たちって、未来を左右する重要な「時間」を握っているんだよなぁと当たり前過ぎる事を思ってしまいました。

お芝居の始まりは荒廃した街の収容所前から。薄暗く声のトーンもあるのか不穏な言動に気持ちが落ち着かず、明るく光あふれるエンディングとは真逆です。最初は登場する人物の白塗りの顔にギョッとしましたが、誰もが皆まばらに白く、そのうち違和感はなくなってしまいます。慣れって怖いね。

何役もこなす演者さんがいるため、場面転換後の「この人誰だっけ?」で声の記憶が頼りに。よく目を凝らし、よく耳を澄ました観劇で、ちっとも眠くならなかった。平田敦子さんの声の使い分けは個人の内面性まで滲み出てくるようで、おどろおどろしい声がさらに不気味な舞台へと演出します。親子を演じた篠井英介さんの歌は母の恨み節だろう。中でも松永玲子さんと山内圭哉さんによる遺書の抑揚のない朗読(内容も内容だけど)は、背中の痒いところに手が届かない、そんなところをもそもそと這う虫を想像してしまった。 

再演、あるかな?うぅぅ、今思い出しただけでも頭の後ろがソワっとしたんだけど楽しみです。