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「毒親」との決別宣言

 昨年の夏、夫が死んだ。突然死だった。死因は急性心不全。

 遺体安置所で眠る彼は、本当にただただ眠っているだけのようだった。
「なにやってんの。いいかげんに起きて」
 そう声をかけたら「んー?」と言いながら目をゆっくりと開けそうな、穏やかな寝顔そのものだった。
 永眠だなんて信じられなかった。

 彼の葬儀は、迷うことなく家族葬を選んだ。自営業だった彼の仕事関係の方に参列してもらうのが嫌だったからだ。
 いや、正確に言うならば、亡くなる直近、彼自身が「これまでの仕事のご縁など白紙だ」と、マイナスの方面に執着していたから。
 なにがあったのか私には分からない。でも。
 連絡を取ること、頭を下げて営業に回ることをあれほどまでに嫌がるのにはきっと理由がある。
 だから。

 私は迷うことなく家族葬を選んだ。

 彼の親族たちは、遠い県から葬儀に駆けつけてくれた。
 当然だよね。
 もし、たとえば私の妹の葬儀が北海道であるとなったら、相模の国に住む私は迷うことなく北海道に発つよ。
 当たり前でしょう?
 家族なんだから。

 ところが、だ。

 私は驚いた。
 心底驚いた。
「これは夢か? 幻聴が聴こえてる?」と頭の中が混乱した。

 私の母だ。毒親。絵に描いたような毒親が、こう言い放ったんだ。

「うーん。行きたいけどさあ。香典を千円すら用意出来ないから行けないなあ」だって。

 しょっちゅう私のところにお金の無心をしに来ていた。
「五千円だけでも良いんだけど、なんとか貸してもらえないかなあ?」

 不憫だけれども、どうにもしてあげられない。私も自分の家族との生活でいっぱいいっぱいだった。こちらのほうこそ、五千円だけでも良いから貸してほしい状態だった。

 その度に断り、お金以外のところで支えてあげるよう頑張ってきていた。 

 私の夫ということは、母にとっては義理の息子。
 私は、毒親ではあるけれど、骨になる前に、彼に合ってあげて欲しかった。だから必死で説得した。

 香典なんて持ってこなくて良い。ただ骨になる前の彼にぜひ会いに来てあげて欲しいんだと必死で。そしてタクシー代として一万円渡した。

 葬儀当日、母と父は葬儀に参列してくれた。本当に香典なしで。

 この毒親エピソードは序の口。もっといっぱいぶちまけ、「もう良いよ。あなたは十分頑張った。毒親のことなんて捨ててしまいなさい」と誰かに言って欲しかった。

 だけど、しない。

 昨日、突然にふと気づいたんだ。

 ーーちょっと待って。お母さんの言葉や行動って、私にそっくりじゃない?

「どうせ」「でも」「だって」がしょっちゅう出てきて会話を続けることが虚しくなってくる。
「ありがとう」で良い場面なのに、第一声はいつも「ごめんね」
 なにか指摘すると「わかった。じゃあ捨てる」と自棄になってゴミ箱に放りこんでしまう。
 お仏壇のお弔いを丁寧に頑張ってみるねと口にするのに、気づけば位牌すら埃だらけ。食事どころか、お菓子すらお供えされておらず寂しいお仏壇にさせてしまっている。

 母のそれら言動は、全て全て私のものでもあるんだ。

 人を変えることは出来ない。
 変えることが出来るのは自分だけ。

 誰の言葉だっただろう。その言葉が唐突に私の中に響き渡った。

 私がまず、自分の家の仏壇のお弔いをもっともっと丁寧にしていこう。
 どうせ、でも、だっては口にしない。心にも思わない。
「ごめんね」が言いたくなってもぐっと我慢。この場に相応しい言の葉がなんなのか、いっときしっかりと考えてから言葉を発する。

 私が変わっていけば、母も一緒に上向いてくるのではないか。

 今、確信に満ちた想いで私の心はいっぱいだ。

  私自身が、私の子どもたちにとっての毒親になってしまっている。 
 私自身が、毒親であることを卒業するんだ。
 母との関係をどうのこうのしようともがくのではなく。

 きっとこれで、毒親の呪縛から解放される。
 毒親と決別だ!


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