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私の人生のリベンジだ!!!!!

こんにちは、🌺白雪椿🌺です。

これから話すことは、支援学校に通ってた私が普通の学校に行くまでの話です。

それではご覧ください。

2019年の寒い冬の日のこと私は15歳でした。

ですがなぜ支援学校かというと
私は小学生の頃学校で普通の子と、うまく学校生活を送れなかったからです。

なぜか、友だちができない普通に話しているのに
なんかへんと言われる私は何が変なのと疑問になった。結局誰も教えてくれないまま中学生になり、
支援学校に行きました。

私はまた友達できないんだろう。もう一人でいいやと諦めていました。

ですが支援学校の子たちはそんな私の手を差し伸べてくれました。私は思いました。

この子達は普通の子達と何が違うのだろうと、不思議に思う毎日でした。

私を嫌がる人が一人もいない。珍しすぎてびっくりしました。

こんな私でも友達になってくれるのと、嬉し泣きで視界がぼやけました。

ほんと母には感謝の言葉しかなかったです。

私の家庭はもともとはシングルマザーだったのですが、新しいお父さんができて遥々幸せな日々を送っていました。

しかし、中学生の最後の一年間の時に父が、普通の学校に行ってみるかと突然言ってきました。

私は断りました。嫌だあんな私のことを受け入れてくれないところなんて行きたくないと。

しかし父は諦めませんでした。

このまま支援学校にいたら、いつまでも親の手を借りなきゃいけないし、親が居なくなったらどうやって生きていくんだ。

施設には行きたくないだろ。

と言って私を説得しました。

私は最初はせっかく仲良くなった友達と離れたくありませんでした。

でもそれよりも施設に行くことのほうが怖かったです。なので、私は普通の高校に行くことを決意しました。


最初は怖いことが頭の中をよぎっていたけど今考えたらお父さんが居てくれて良かったと思っています。
最初あったときのお父さんは目つきが怖くて怒ったときもものすごく怖かったけど今ならわかる。

私のことが大好きだから心配してくれているんだなと。

口ではそうだぞとか心配なんだとか言わないけど7年間も一緒にいるとお互いのことがわかってきました。

私が茶碗を割っても怒らずに怪我ないかと言ってくれて私が足を捻挫した時はおんぶして四階まで階段を登ってくれたとても優しいお父さんありがとう。

私はお父さんのおかげでここまで立派になったと思います。

あっそっかだから友達と遊びに行くときも行かないほうが良いと言うんだ!

そうなんです。私は友達を遊びに行くたびに何か良くないことが起きてしまうんです。

でもお父さんはそれが分かるみたいでこの子はいいこの子はやめたほうがいいと言ってくれます。私はそれを無視して友達とカラオケに行ったり友達の家に泊まったりしていました。

ですが、なぜか不運が起きるんですよねなんでだろう?

あっすみません。自分の世界に入ってました。普通の高校に入った理由でしたね。

私は高校の面接と作文の試験に合格して見事試験に合格しました。

勉強をほとんどやったことがないのですが、まず受かったから安心していました。

ですが試練はまだ始まったばかりでした。

テストという大きな壁が待っていたのです。

私は最初一桁の点数しか取れませんでしたがお父さんが家庭教師になってくれて勉強を高校3年生まで見てくれました。そして、高2のテストで100点を2つ取ることができました。

とても親に喜んでもらえました。

その勉強方法が、すごく楽しくてクイズ形式てやりました例えばデデン♪3月4日は誰の誕生日でしょうと聞かれ。

はい。

はい白雪さん!

答えは大塩平八郎です。

と答えてお父さんが口でルーレットをしてやるじゃねーかと言ってきます。

それを言われるのがすごく嬉しくてもっともっとと来たいと思いました。

今度は私がお父さんとお母さんのために頑張って働いて、
いつか北海道へ一緒に旅行のプレゼントをしたいと思います。それまで頑張るからね。

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