雨雨雨

あーめーはーれいじーすぎにーふーりーだーしてーきーみーはおさなーくほおぬらしイヤホンをみみにあてたー

歌いながら歩いてたら前から人来て気まずかったです。BURNOUT SYNDROMESの檸檬って歌です。好き。小雨だと思って傘ささず駅まで来たら、シャワー浴びた並に髪びしゃびしゃなってた。意外と降ってたみたい。

今日は昼から出かけてて、いろいろ歩き回った日だった。ご機嫌な蛍光イエローのニット着てたのに、気持ちはあんまりご機嫌ではなくて、むしろどんより虚無を抱えてたんですけど。まぁそんな日もあるさ。全部低気圧のせい、ね。


歌いながら帰り道、気の使い方ということについて考えていた。気を使う必要が無いというのは楽だけど、気を使いながらもそれを苦としない空間の方が心の治安はいいだろうな、とかそんなこと。

サークルは私には合わなかった。気を使いすぎる空間だった。中学生の学級会みたいで、楽しかったねいい公演だったねの裏には、10倍くらいのこんな公演関わらなきゃよかったがあったように思う。私には窮屈で仕方なかった。

次に関わった演劇団体、劇団羊狼は私と私の友人が中心になって立ち上げた団体だ。いわゆる演劇をする学生団体。仲のいい人、やりたいと言ってくれた人達を集めて作った団体は、サークルほど気を使う必要はなかった。それが良くなかったのだと思う。仕事を抱え込みすぎた。誰もにちゃんとやらなきゃいけないという意識がない。楽しければいいじゃんっていうだけ。費用は?場所は?思い込みかもしれないけど、動いているのは私だけだと思った。そうしたら急にバカバカしくなって辞めた。劇団現代古典主義に入団したこともあってそんなことにさく時間が勿体ないというのも理由の一つ。気を使わない仲だからこそ強くは言えなかった。

きっと私は臆病なんだと思う。友達なんて恋人なんて極力いらない、一人の方が楽、と言うわりには人に嫌われるのを恐れてる。

今いる劇団現代古典主義は、先輩ばかりだ。劇団歴もだし、年齢も上の人ばかり。気を使わないわけが無い。けど、楽だ。特段めちゃくちゃ仲がいいのかと言うとそうでも無い。距離があるなとも思う。それでも楽だ。きっと私は甘えきってるのだろう。距離を詰めすぎない優しさだとか、そういうものに。私は私でしかないから他の人の考えなんて分からないし、要らない異分子だと思われてるかもしれないけど、でももう少しだけ皆さんの優しさに甘えていたいなと思う。


ちょっと感傷的になってしまうのも全部全部低気圧のせい。


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