AIはわたしたちの味方か脅威か

AIがもたらしたもの:良い影響

人工知能を活用してわたしたちの生活は身近なところから便利になっています。蓄積された体験から適切な情報を取り出すといった処理に加え、人間には不可能な膨大な数の計算を高速で行い、学習も早いAIが台頭してきました。

検索エンジンのGoogleではアクセスする場所を集計してユーザーに合わせて提供する情報の無駄をそぎ落とすなど、地味ながらAIの特性が活かされていたり、Googleマップにいたっては目的地までのルートや目的地での滞在時間がが記憶されているなど、私たちの行動を参考にAIは判断することが可能です。よく見たことがある商品が全く関係ないページでも表示されたりしてその学習能力の高さを感じます。

以下はAIの技術が使われているもの

・iPhoneに搭載されているsiri

・予測変換

・和訳、英訳などの翻訳機能

私は言語学を専攻しているので、言語間の翻訳の際、AIが話者のアクセントや訛り、フレーズの用法のパターン、一音一音の音質を記憶して抽出できるようになってきていると知り、驚いてます。

このように、必要な時に必要な情報にアクセスしやすくなったり、様々な作業に手間がかからなくなったと感じることが増えた印象があります。

AIの別の見方:脅威

ここまでで、AIの印象といえば、生活にも仕事にも存分に貢献してくれているように感じられます。一方、人工知能自体に悪意がなくとも、AIの管理やユーザーの意識の高低によってはリスクも潜んでいることは何となく予想できます。

特に個人情報を登録して利用するようなサービスには、データが漏洩する危険性があります。大量のデータ処理ができるという裏で、大量の個人情報が洩れる可能性もあることをユーザーが意識する必要はあるでしょう。AIの発達は、入力された情報を管理するだけにとどまらず、それをAIの独自の判断で出力することもできるので、感情を持った時にはどのような問題が発生するか、とても不安に思います。

また、聞くところによると

AIによって私たちは職を追われるのではないか...という予測があります。

AIの本当の脅威⇒人間の特性を見つける機会

ある意味、これが一番ペッパー君を見かけるときの「うわ、、あの甲高い声だ」という根拠のない拒否反応の要因かもしれません。心のどこかでこいつらに仕事が奪われるのかな、と思っているくらい、私はスマートフォンやPCを利用していて人工知能のすごさを感じています。

では、

今のうちに個人がPCやSEとしてのスキルを高めるために幼児教育からパソコンを使わせるべきなのか、

という事ではないと思います。

となると逆に

人間の能力のうち、

AIに優先して求められることは何か??

と問うことができます。その答えを世の中のニーズから汲みとれれば個人の市場価値を高めることができ、ペッパー君に勝つことができます。(希望)

ここで、興味深い記事を見つけたので紹介させていただきます。このデータはある企業の商品企画、マーケティングにかかわる30歳前後の若手会社員の意見をまとめたものです。彼らは企業を代表して集まったエース社員であり、具体的にどういう能力を持つのか明らかにしようとしたものです。

個人的実行力や決断力に加え、最終的に自己が関わるスコアが高いように、働く上で個人の特性が活かせている社員はいわゆる「エース」というように活躍できる位置にいます。

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出典:日本経済新聞「エース社員の能力、数値化してみた テストで検証」https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43315610U9A400C1I00000/

誰しも高いパフォーマンスを発揮するためには、というよりも発揮できるのは特定の分野や似通った場所や範囲で、ということになると言えます。(野球がうまい人はゴルフもいい飛距離を出せる気がします。)

より具体的に「AIにはできないこと」をまとめます。

理屈に合わない思考

そもそもが決まった作業をするためにあるので、非合理的な判断や処理はできない。⇒提供される選択肢には限りがある。

クリエイティブな思考

「おもいつく」というクリエイティブで人間的な突発的な考え方は得意ではない。⇒人間のように新しい製品を考案することは苦手。

ペッパー君には感情はない。

人工知能のメリットとしては、誰にも気を遣わずに言いたいことを提示することはできるが、逆に捉えると相手の心を読み取ることはできない。なのでペッパー君は仮にミスをしてもちゃんとした謝罪はしないといえる。

まとめ

AIが社会に加わって利便性が向上している社会では、(人口減の日本では特に)テクノロジーに依存していくことで技術の発達や製品の進化がこれからも見込めるので、そこを強みに海外へ日本の技術力やプロダクトを輸出していき、むしろこれまでのように技術大国としてAIをどんどん日常に取り込んでいくことに賛成したいと思いました。その一方でかつてより識字率の高かった日本はメディアリテラシーも広くあり、発信する情報に対してより責任の重さを感じる必要がまだまだあるとも感じました。そうした下地があってこその「AIのある社会」であり、そこで活躍するための必然的な素養・素地であると言えるのではないかと思います。