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アイドルオタクになれなかった


これから記すことは誰宛でもない。誰かを批判したいわけでもない。文字にして残すことは、私にとっての決別手段であり儀式である。態々他人から見れるところに書いて残さなくてもいいが、ここに残すことによって自分の中から切り離され、私は忘れる。良い思い出だけを持ってこれからを生きていくために。


元々ハマったきっかけはコロナだった。流行に漏れることなく感染した。しかし症状は軽かった。毎日やることもなくベットの上でゴロゴロしていた。そんな時に偶々出会ったのだった。
前まではアイドルにハマっても、こういうところがいいよな〜好きだなぁ〜と誰かと共感するわけでもなく自己完結で終わっていた。だが今回はSNSのアカウントを作り、そこで交流をし、気付けばオタクの友達をたくさん作っていた。
オタク友達と過ごす時間は楽しかった。本名も年齢も職業も知らない人たちと、共通の話題で盛り上がれることが、何度振り返っても新鮮で、不思議な感覚で面白かった。
周りのオタク友達のおかげもあって、推しについて考えない日がなかった。


いつまでも続くであろうと思っていたそんな日常も、だんだんと曇り始めてきた。
きっかけはドーム公演だった。推したちもファンたちもみんな待ち望んでいたドーム公演。風邪だけは引かないように気を付けたし、いつもSNSでしか交流していなかった友達とも会おうねと約束したりして、楽しみで仕方がなかった。ライブ中も楽しかった。来れて良かったと、この目で見れて良かったと思っていた。

しかし公演が終わり、日常が戻ってくると、一瞬にして楽しかったライブの記憶が消えていった。SNS上では余韻に浸っている人たちばかりだった。私だけが余韻に浸ることなく、日常に戻っていた。当時はなんでだろうと疑問に思っていたが、今ならはっきりと断言できる。楽しくなかったのだ。あんなに楽しみにしていたライブだったのに、私が想像するドーム公演を越えていなかったのだ。ライブ中はそりゃ推しと同じ空間にいるから感覚が麻痺してる。最後のMCで意味不明なことを言っていても、推しらしいなと微笑ましく感じていた。
しかし持ち帰った思い出を、推しがいない空間で思い返すと、無味無臭なただの出来事でしかなかった。何の感情も湧いてこなかった。
それと推したちのドーム公演の感想に触れる機会がなかったことも大きい。せっかくファンに気持ちを伝える手段がたくさんあるのに、誰も深く触れなかったことが今でも疑問で仕方がない。

そんなこんなで日を増すごとに気持ちが冷めていき、推したちのマイナスな面しか見れなくなってしまった。
そうこうしているうちに新たな推したちとの出会いもあり、これはそろそろ旅立ちの時だなと意識し始めた。
だが中々推すのをやめることに一歩踏み出すことができなかった。オタク友達と離れるのが寂しかった。一緒に楽しい時間を過ごせなくなるのが心苦しかった。

そんな時ふと周りを見て掛け持ちでオタクをやっている友達が多いことに気が付いた。
○○かっこいい〜!と言っていた数時間後に、また別の推しをかっこいいと言っていて、その切り替えの速さに驚きながらも、掛け持ちなら私もオタクを辞めなくてもいいのでは?と思った。


それからしばらく掛け持ちをしていたが、結論から言うと私には無理だった。
掛け持ちしている友達を見ると、今回のビジュが好みだとか、イベントで嬉しいことを言ってもらったとかでモチベを変動させているみたいだった。
確かにビジュは自分好みであるに越したことはない。しかし私は今までビジュの良し悪しでモチベが変わることはなかった。対面イベントでもそうだった。彼氏っぽい言葉を言ってほしい。こういうことをやってほしい。という気持ちで参加したことがなかった。対面イベントでは推しに感謝の気持ちを直接伝えたいがために参加していた。そのためいつも私が一方的に喋って推しの言葉をあまり聞くことなく終わることが多かった。
推しに対して不穏な噂が流れても、そのことで怒ることはなかった。それよりもうつつを抜かし仕事に身が入ってないように感じることが私にとっては沸点だった。

大半のアイドルオタクにとって推しは、擬似恋愛体験をさせてくれる存在なのだろう、たぶんきっと。だからリアコ枠という言葉も生まれるのだろう。それについて否定する気はさらさら無い。推し方は人それぞれだし、正解も不正解も上も下もないと思っている。
しかし私は擬似体験ではモチベは変わらないタイプのオタクだった。
ビジュも大事だが、それよりも中身重視だった。
だから、ドーム公演以降に感じた諸々の、言葉にすらできない小さなことの積み重ねがビジュやリアコ対応で持ち直すことはなかった。
別に推したちが何かをしたというわけでは無いのだが(むしろ何もしなかったがために心が引っかかった)その推したちを創り出してる中身が受け入れられなくなったがためにこうなってしまった。

走り書きの殴り書きになってしまったが、これからは遠くからそっと見守ろうと思う。
また近くで応援したい!と私が思える日が来ることを願って。

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