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おとなの成長って何なんだろう?いる?

お盆ですね、そして暑い。
ちょっと外に出ると、ぉぉぉぉぉおおお夏だ!暑い!よしもう暑さを満喫しよう!と意気揚々とスーパーへ買い物に行くものの帰りはたった徒歩3分の距離なのにタクシーに乗りたい気分になる。
温室育ちならぬ、冷蔵室育ちになってきた。

こどもの頃から ジブンって何なんだ?と哲学や量子力学(スピじゃなくマジメなやつ)にドハマリしながら自己受容や探求をしてきたけれど、53歳の今はジブンが知ってるつもりだった私とはほとんど勘違いだったんじゃないかとすら思う。

経験した記憶の認知もアイデンティティも。勝手に判断して辻褄合わせて納得してきたようなもんだ。

20年くらい前だろうか?2chで賑わっていた潜在意識スレで108さんを知り、その時には全体の概念はわかるけれど使いこなせないというか適応力がなく困惑した。
電子書籍チケットの第7章はわかるし知っている感覚なのに
『既にある』『今幸せになってください』
からすぐどっかいってしまう。
どっかというか、今ない、今大変に向いてしまう。

それなりに楽しく暮らしているし、住みたい場所にも住んでいるし、人生はかなり面白いものになっていたけれど、わたしがずっとほしかったのは《安心》だった。

去年、はぁー108さん今何処にいるんだろう?と思った何日か後にご本人のYouTubeがおすすめであがってきた。
は?なに?ご本人?は?となり動画を視まくり長年の謎が解けた。

【不足は全部嘘】

これだったんだ。
不思議とあっけなく移行した。
本当に既にあるし不足はなかった。
心配する必要もなければ欲しがる必要もなかった。何かを叶えようともしなくてよかった。全部御膳立てされてる。

不足とは、文字通りの減るや足りないという概念に始まり、不幸や苦悩、病気などありとあらゆるいわゆる『それほしくない、嫌です』と感じるようなものをまるっと指しているのだと思う。不満というとわかりやすいのだろうか。

実践してみて色々と認識がすっかり変わったことはあるのだけれど、先日お客様と話していて成長というワードに???ハテナ???が脳内いっぱいになった。

こどもの成長は、まぁわかる。さすがに。

おとなの成長っていったい何なんだろう?多くは精神的なものや社会性みたいなものだよね?
いや、わたしも去年までは成長とは、って持論の概念があった気がする。
けれど今、ちっともわらない。

その方は成長しなくては、成長してないジブンは、みたいなことをコンプレックスどころかずっと自己攻撃してきたようだった。

もうそりゃ世間を見渡せば比べるものいっぱいあるし、特にこれまでの社会で立派とされる経歴や人格を基準にしてるとしんどいよね。常識も。

わたしのように早々と離脱し、みんなと同じなんてどう転んでも無理だし好みじゃねぇよと独自路線を走ってきたタイプはそうでもないのだろうけれどね。

世間で推奨される(されてるのか?本当に?)ちゃんとした人カテゴリーでほぼストレスがない人たちがいるけれど、それは何も無理しなくても自然にそのようなモデルを体現できるタイプ。

ただ、そういうタイプなだけだ。

なのにそれを正解とすると出来ないという概念が生まれる。
出来ない人。
いやいや、そうじゃないんだよね。

さて今日は山奥に帰ってお盆の迎え火を。明日は娘が忙しくて日帰りになったけどまぁいいや。

長年、お盆行事と縁遠い生活をしていたので楽しんでこようと思う。

ほな、また。




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