母と喧嘩をした、母の日

午前中、Instagramで友達とやり取りしたり、ネットで知識を得る中で、ダイエットにはご飯の方が向いているということを学んだ。

正しくは、知っていたけれど、いつも栄養バランスとかをしっかり考えてご飯を作ってくれている母に言いづらかった。

ダイエットを約1カ月程度続けているけれど思ったよりも体重が落ちない私は、今までもダイエットに協力的になってくれていた母に相談することにした。

「朝ごはんのパンさ、ご飯の方が良いみたいで…変えられたりするかなぁと思って…」

そう言ったことが喧嘩の火種だった。
母は、そこから狂ったように怒った「ご飯になんてできるわけないじゃん!時間ないし無理です、やるなら自分でやって」

これは自分でやるから良いよと言ったら更に喧嘩がヒートアップすると分かっていたのに、私なりに考えて言ったことを頭ごなしに叱られたことから、私は「良いよ、自分でやるよ」
と言った。

母は「は?あんたにそんなことできるわけ?自分の分だけそうやってやるんだね」
「大体あんたがデブなのは自分がいけないんじゃん、色々やめろって言っても辞めなかったじゃんお菓子とかお酒とかさ、ダイエットだって続いてもすぐ辞めていつもリバウンドするじゃん その結果じゃないの?」

そう言われて黙っていられる私じゃなかった。小さい時からやることなす事否定され続け、できる弟と比較され、私の良いところは「努力するところだけ」
そう言われた事などがフツフツと湧いてきた。

母は静かに怒る私に言った「何?言いたいことあるんなら言えば?」

私はもう我慢できなかった。小さい時から否定され、頑張ろうとすることを止められて、そういう全ての嫌だったことをベラベラと喋った。途中から多分文章は支離滅裂だった思う。私は泣いていた。

だけど、止められなかった。言葉も、それから涙も。

「お母さんが弟の方が好きなのはよく分かるし、大人になった今それにつべこべ言うつもりはないよ。だけど、私は、そんな風に人から否定される権利もない。嫌いなのは良いけど、実の母親からそんな風に扱われる人の気持ち分かる?小さい時から太っていた人の気持ち分かる?また自分のせいって言いたいんだよね 知ってるよ
だけど私にも人権はある。勝手にまた続けられないでしょと見捨てられるようなことは耐えられない。」

私が最後に言うと、母は捨て台詞として
「お前にいくらかけたと思ったんだカス」と言って出ていった。

私は絶望した。「あぁ、この人私の事、いくらかけたかで見ているんだ」と思った。
もうなんか、どうでも良かった。

ひとしきり泣いて、でも泣き終わらなかった。
でもこのままじゃ、母と上手く話せなくなってしまうと思ったから、私は文章を打った。

以下が私が母に伝えた文章だ。

今の気持ちを正直に言います 口頭だとまた喧嘩になるので

朝をご飯にしなくても痩せるのかもしれないけど、とりあえず試してみたいという気持ちでした。お母さんの都合も考えてたからどうしたらお母さんのことを傷つけずに言えるんだろうと思って考えて言ったけどお母さんを怒らせたから、今も何が正解か分かりません。

それから、努力するところだけが私の良いところと言ってくれたのはずいぶん昔の話だけど、正直胸に刺さって今も傷は癒えません。あの時、私は努力家というレッテルを貼られたように感じています。

私は人生常に全力でいなきゃいけませんか?
努力は大切だと思うけれど、私は別に頑張る才能がある人じゃありません。お母さんには言い訳に聞こえるし人のせいにしてるように思うと思うけど、
私とって努力家だねという言葉は呪いです。

だって、どう考えても弟の方が努力家だし私より努力家の人をいっぱい見てきたから。

私はそこからもっと頑張ろうという気持ちに、なれる人じゃない。小さい時からずっとそうでした。

むしろ、自分より頑張ってる人を見たとき、「あぁ、私より努力家がいるってことは、私の良い所はもう一つもないってことなんだ」と絶望しました。
だけど、私なりに挫折して、絶望して、それでも続けて、走って、諦めないで生きてきた結果があの喧嘩です。

ぶっちゃけ一生コンプレックスになると思います。

私が努力できたことは人生一つもありません。強いて言うなら、幼稚園の時の縄跳びくらい。

バスケもバレーも勉強もダイエットも仕事も私より努力している人をたくさん知っています。
そうなったら私の良いところはどこなんだろう、そういう絶望感がずっと心のどこかにありました。

わかって欲しいとも言わないし、今更お母さんのこと恨んだりもしてないし、感謝してる。
ダイエットだって協力的だったから。今までダイエットの食事のこととかも協力的だったから朝ごはんのことも言ったけど、怒らせてごめん。

毎回ダイエットがすぐに終わっちゃってたのも、私が努力家じゃないからだよね、分かるよ。
お母さんにとっての私は「努力家」だから、きっとそれが許せなかったんだろうな思う。お母さんは違うって言うかもしれないけど、それが私の答えです。

頑張ろうと思っている時にこんなに喧嘩になるのは悲しいです。

辞めちゃっても良いからやってみよう、頑張ろうというのは、いけないことですか。必ず何もかも、続けなければいけませんか?

始めた結果、やっぱりダメだったでも私は良いと思ってる。他で頑張る方法を探せば良いと思うから。

社会人一年目、精神的に余裕もなくて、二年目はもっと精神的絶望に立たされて、ダイエットなんて考えられなかった。三年目は5キロくらい痩せたけど、結局だった。

今年もぶっちゃけ続けられるかわからない。でも始めてみないと、続けられるかも分からないでしょう?

それを真っ向から否定されて、絶対続けてねと言われるのはつらいです。

頑張るので見守って欲しいです。

母は大体、私が真剣に話すと、「ハイハイ」と言って流してくる。きっとこの文章も流されると思ったから、この文章はちゃんと読んで、真剣に考えて欲しいです。じゃないとお母さんとまともにもう、話せない

そう伝えた。

母から真剣に読んだであろう返信が返ってきた。

良いところは他にもある
何を言っても無駄かもしれないけれど、と書いてあった。
朝ごはんの都合のことも書いてあった。

正直、他の人からしたら笑ってしまうような内容だろう。

たかが、「朝ごはん、パン派かご飯派か」という論争である。
たかが、ダイエットである。

それが家庭内の人権問題にまで発展したのだ。

私は母のことを凄いと思っているし、感謝もしているし、尊敬する部分もある程度ある。
だけれどどうしても、いつも喧嘩になるのは私だ。私のせいなんだ。
私が黙っていれば…私が痩せていれば…私が可愛かったら…私がもっと勉強ができれば…私がもっとスポーツができる子だったら…ピアノを続けられていたら………

ずっと、努力家の私でいられたら
違っていたのかもしれない。

母とはもう、普通に会話している。
ごめんねと謝ったのは私だけだった。

きっと、お母さんは私に謝ることはない。自分が悪いなどと1ミリも思っていないから。もしくは、思いたくないから。

各種SNSでは、「母の日」の文字が踊る。

弟と相談して、ちょっと良い服を母に買った。

いつも自分の分だけの洗い物を、家族の分も全部やった。

「母の日」だったから。

こんな悲しい気持ちは、もうしたくない。

たかが朝ごはんパン派ご飯派論争は、ごめんねも言われないままで、呆気なく私の「負け」という形で終わったのであった。

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